2024年3月31日日曜日

からし種一粒ほどの信仰があれば

使徒たちが「わたしどもの信仰を増してください。」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」

新約聖書 ルカによる福音書 17章 5~6節

先日、7,8年前の手帳に当時の心境が思い出されるようなメモ書きを見つけました。当時の不安や苦しさと再会したようで懐かしかったのですが、懐かしいと思える今の自分を思うとき、聖書のみことばに導かれて、少しずつ物事の見方、考え方が変えられてきたのだと思いました。

信仰の弱い自分にダメ出しばかりしていましたが、自分でも気ずかぬうちにイエス様からの恵みを受けていたことに気づかされました。「からし種一粒ほどの信仰があれば」とイエス様は言ってくださいました。からし種一粒ほどの信仰を持ち続け、その種を大きな木に育てていただけるように祈り求めたいと思います。

(S.O. 60代)


2024年3月24日日曜日

御心に適うように!

「アッパ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」

新約聖書 マルコによる福音書 14章36節

この聖句は、イエスさまが、十字架に架けられる前に、ゲッセマネというところで、弟子たちから離れ、一人で神さまに祈られた聖書の箇所です。

私たちの罪を贖い、私たちに代わって十字架にかかる為でした。

イエスさまは、十字架にかかる時を前にして、「イエスはひどく恐れてもだえ始め、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈って、」とこの聖句の前に書かれているほど、恐れや苦しみの中にありましたが、「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。

この場に及んで、何という神さまに対しての「信頼」でしょう!

イエスさまは、十字架の死後三日目に復活されました。十字架の死の先に、人が経験したことのない神さまによる「復活」という希望があることもイエスさまは、知っていたことと思います。

私たちは、時には、絶望的と思える様な出来事に遭遇することもあります。しかし、神さまは、そのような時にも、いつも私たちのことを心に留め、いつも守り支え、私たちの歩みを「絶望から希望」へと導いて下さっています。私たちのことをいつも愛して下さっている神さまを信頼し、自分自身を委ねて、「御心に適うことが行われますように!」と祈り歩んで行きたいと思います。

(H.K. 60代)



2024年3月17日日曜日

主のまなざし

・・・まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が泣いた。主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『今日鶏がなく前に、あなたは三度私を知らないというであろう。』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

新約聖書 ルカによる福音書 22章60節~62節

主のご受難を覚えるこの季節、いつもこの聖書の言葉に心をとらえられます。主の予告通りペテロは主を裏切った。そして主が言われた通り鶏が鳴いた時ペテロは激しく泣いたと記されています。その時ペテロはどんなに打ちのめされたことだろうかと思います。ここで聖書は「主は振り向いてペテロを見つめられた。」と記しています。ここに僕は大きな慰めと救いを見ます。まさに今主ご自身が十字架にかけられようとしている時、自分の罪に気付いて打ちのめされているペテロを主は慈しみの目をもって見つめ、見捨てられませんでした。ペテロに自分を重ねてみるとき、主の十字架はまさに僕のためであったと気づかされます。

(K.O. 80代)



2024年3月10日日曜日

勇士よ

「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」

旧約聖書 士師記 6章12節(新改訳)

これは、私が2つ前の職場の小学校の主事、年配の用務員さんが私の異動の際にチョコレートに付箋で書いてくださった御言葉です。思わぬところでクリスチャンの方と出会い、校庭の片隅で共に祈ったことは貴重な体験です。
今でも奏楽の譜面の横に貼り、見ています。
私は主に遣わされた勇士なのだと自分を奮い立たせ日々働いています。

(M.E. 50代)



2024年3月3日日曜日

私と出会ってくださる主イエス

イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしている。」

新約聖書 ルカによる福音書 19章 5節(聖書協会共同訳)

新約聖書の福音書には、イエスさまが人々と出会ったエピソードがたくさん記されています。ルカによる福音書19章1節から10節には、徴税人ザアカイとイエスさまの出会いの場面が描かれています。ザアカイは、イエスさまがどんな人かを見ようとしたのですが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができませんでした。そこで、ザアカイは、イエスさまを見るためにいちじく桑の木に上ったのでした。すると、なんと、イエスさまが木の上にいるザアカイを見上げて、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしている。」と声をかけてくださったのでした。私は、この場面が大好きです。

 聖書によれば、私たち人間は「失われた人」です。神さまによって造られたにもかかわらず、神さまの心を悲しませるようなことをして、神さまと共に歩んでいないからです。イエスさまは「失われた人」を捜して救うためにこの世に来られました。

 「失われた人」であったザアカイに個人的に出会って、友となり、救いとなってくださったイエスさまの姿はとても慈しみに満ちていたと感じます。そして、私にも、イエスさまは個人的に出会ってくださり、日々、イエスさまと共に歩む幸いへと導き続けてくださっています。

(K.T. 50代)