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2026年2月7日土曜日

元気を出しなさい

しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。

新約聖書 使徒言行録 27章 22節

「元気を出しなさい」それはパウロの力強い言葉でした。

パウロは逮捕され囚人としてローマに向かう航海の途中、激しい暴風に巻き込まれました。船は揺れ、積み荷を投げ捨て、誰もが「もう助からない」と感じていました。そのような極限状況で、囚人であるパウロが船の中央に立ち上がり「元気を出しなさい」と告げます。不思議な言葉です。自由を奪われた身で、しかも船を動かす権限もないパウロが、なぜ、人々を励ますことができたのでしょうか。それは、彼の拠り所が状況ではなく、「神の約束」にあったからです。パウロは語ります。「神が私と共におられる。乗っている者は誰一人失われない」。彼の信仰は、乗組員の命を飲み込もうとする嵐の中で、静かな灯のように人々の心を照らしました。

パウロは特別だから励ませたのではありません。彼は恐れない人ではなく、神に信頼して立ち続けた人でした。彼の内側にあったのは、「神が共におられるなら大丈夫だ」という確信です。だからこそ囚人という弱い立場でも、人々の支えとなり、嵐の船を導く声となれたのです。

人生にも嵐があります。病、喪失、失敗、人間関係の行き詰まり・・・。そんなとき、私たちは自分の弱さを責め、励ますどころか落ち込んでしまいます。しかし嵐の中のパウロは語ります。「弱いからこそ、神の力が働く」と。私たちも欠けがあってもいいのです。囚人のパウロが希望を語ったように、どんな立場でも、神さまの約束に支えられて生きるなら、誰かに光を届ける人へと神さまは、導いて下さいます。「元気を出しなさい」という言葉は、私たちにも向けられています。神さまは共におられ、失われる者は一人もいません。「主が共におられるから大丈夫だ」と神さまにより頼む信仰を与えて下さいと祈る毎日です。

(H.K. 60代)


2024年12月29日日曜日

「与える」ってなんだろう?

「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。

新約聖書 使徒言行録 20章 35節

クリスチャンとはどんな人でしょうか。神様に喜ばれる人でありたいと願い、人々のために心と時間を使うような人ではないでしょうか。つまり「受けるよりは与える方が幸いである」というみことばを胸に生きている人かと思います。

私の友人のお母様は、家族のために何年も朝5時に起きていたそうです。その話を聞いた時、すごいなあ、私も子どもを産んだらそうなれるのかしらと思ったものです。それから何年か経ち、私も母となりました。ところがどっこい、私の朝といえば、夫より子どもより遅く起き、「珈琲を淹れてくれたら起きる」「背中をかいてくれたら起きる」など駄々を捏ね、朝食の用意されたテーブルにようやく這っていく始末です。

夫に「『受けるよりは与える方が幸いである』とあるけれど、私は受けてばかりね」と謝るのですが、夫はいつも「君からたくさん与えられているよ」と言います。夫にしてあげていることが全く思いつかないのですが、このやりとりから「受けるってなんだろう」「与えるってなんだろう」と考えるようになりました。このように問いながら自分にできることを探していくことが、神様に喜ばれるようでありたいと願いながら生きることなのかな。こんなことを考えながら眠りにつく今日この頃です。

(30代 女性)



2022年9月25日日曜日

この町には、わたしの民が大勢いる

恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。(略)この町には、わたしの民が大勢いるからだ。

新約聖書 使徒言行録 18章 9b~10節

地方都市の教会にいた時、高校生が洗礼を受け、教会員となりました。ところが、その多くは、大学受験で土地を離れました。折角、育ってきたのに、地方都市の教会は、「苗床」なのでしょうか。引っ越し先で信仰生活を励んでくれれば良いけれど。

そんな思いで悶々としていた時、この聖句に出会い、目が開かれました。この町にも人は大勢いるのだ。この町の方々へ語っていかなければならないのだ。と、気付かされ、祈りが変わりました。

数日後、老婦人と娘さんが牧師を訪ねて来ました。お母様を信仰へと導いていただきたい。との事でした。その老婦人は、いつも教会の前を通っている方でした。神様は祈りを聞いて下さっていました。

(M.I. 70代)