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2025年7月6日日曜日

他人を裁く危うさ

隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。

新約聖書 ヤコブの手紙 4章12節

ヤコブ4章12節に、「隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか」とあります。この言葉の前には「裁きを行う方は、おひとりだけです」ともあります。つまり、本当に裁くことのできる方は神のみであり、人間は誰も人を裁けないのだと言ってるのです。

会社の後輩が1年間にわたり違法なパワハラを上司から受けました。やがて後輩は心療内科に通うようになり、うつ病になるのではないかと心配する程でした。見るに見かねた私は文書をもって上司と会社を告発しました。その結果上司は処分を受け、公式謝罪と減給処分を受けました。腹立たしいのはそれからです。パワハラをした上司と、彼に加担していた仲間はそれで罪をつぐなったかのように一斉に口を閉じ、まるでパワハラなどなかったかのように振る舞い始めたのです。私の心に、深く深く彼らを裁く思いが根付きました。彼らを赦せませんでした。

しかし今、長い時間が経ってみて思い浮かぶのは表記の聖書の言葉なのです。他人を裁くお前はいったい何者だ! そう問われた時、私の中に答えがないのです。そうです。私もまた彼らと同じように自分の罪を、まるでなかったかのように振る舞っているのではないかと、この聖句によって思わされるのです。

(M.I. 60代)


2024年10月27日日曜日

不思議な言葉

わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。

新約聖書 ヤコブの手紙 1章 2節

なんとも不思議な言葉です。私たちの通常の考えでは、試練は喜びにはつながりません。しかし、聖書は、「いろいろな試練に出会うときには、この上ない喜びと思いなさい。」と勧めるのです。

なぜなら、試練によって信仰が試されることは悪いことではないからなのです。信仰が試される時、私たちは忍耐をしなければならないのですが、神さまはその忍耐を尊いものと見てくださいます。そして、試練によって培われる信仰による忍耐を通して、神さまは私たちに素晴らしいものをくださいます。「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。」(ヤコブの手紙1章12節)

試練を喜びと思うことは、試練の先に神さまが用意してくださっている祝福を見て、希望を持つことなのかもしれません。この聖書の言葉は、人間の常識にはない不思議な言葉ですが、苦しい時に私が慰めを感じた言葉でした。この言葉によって私は、試練の意味を信仰によって捉える次元があるのだということを示されました。 

(K.T. 40代)


2024年9月15日日曜日

欲しいものと、与えられるもの

願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。

新約聖書 ヤコブの手紙 4章 3節

「あれが欲しい」「これが欲しい」、欲しいものは尽きません。何かを手に入れれば、次のものが欲しくなる。その繰り返しをしながら生きてきた、と改めて感じます。欲しいと願っても、手に入らないことも多々あります。“モノ”ではない、技術や能力もそうです。また、願ってもいないものが手に入ることもあります。思いがけない苦労や、悲しみなどです。

この聖句を読むと、自分の欲だけを願い求めてしまっていることを感じさせられます。神さまが与えてくださるのは、私にとって必要なもの。時には、あまり欲しくない、願ってもいないものが与えられるかもしれません。けれども、それらは神さまが必要だと思い、与えられるもの、そこには意味が必ずあると信じて、受け取っていきたいと思います。

(R.M. 40代)


2023年6月11日日曜日

知恵をいただきながら

あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。

新約聖書 ヤコブの手紙 3章 13節~18節

昔から世話好き、お節介やき、よく口を挟み、時には行動をもって手伝う。長い間には失敗もあり、迷惑ととられたこともありました。

このみ言葉は、そんな私に苦言を呈し、行いを自分よがりでなく、義の実の真意を理解し、主からの知恵をいただいての行動がとれるように導いてくれます。これからも謙虚に、み言葉を大切に過ごしたいです。

(F.T. 70代)














2023年1月8日日曜日

忍耐しなさい

兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。

新約聖書 ヤコブの手紙 5章 7~8節

以前、ある方の著書で「たとえ、遅くなっても待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。」(ハバクク書2章3節)の聖句を目にしました。何か不思議な言葉だと思いましたが意味がよくわからず、ただ「遅くなっても待っておれ」の部分だけが心に残っていました。

そして最近になって冒頭の聖句に出会い、「ああ、これだったのか」とようやくわかりました。「それ」とは「主が来られるとき」なのだ、主は全てにおいてふさわしい「そのとき」を必ず用意してくださっている、それまで慌てず騒がず、忍耐して待てばよいのだ、と。

私はせっかちで、思うように事が進まないとすぐに焦ったりイライラしたりしてしまいがちです。でも心を落ち着かせて、神様が備えてくださる「そのとき」を、忍耐しつつ、ひたすら祈って待てるようになりたいと思います。

(N.N. 60代)












2022年9月18日日曜日

神様の資本

金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。

新約聖書 ヤコブの手紙 5章 3節

70歳の男性です。昔から「シンプル&ニート」(簡潔&こざっぱり)がモットーです。必要な物は祈り求め、与えられれば神様に感謝し、与えられなければ、むしろ良かったか、さらに良い物が与えられると信じます。約50年キリストを信じて来て、不足を感じたことはありません。逆に、物の管理と、リスク対策とから解放されて楽です。昨年、NHK大河ドラマを通して「社会資本」という概念を学びました。今、祈り求めているのは「社会資本」ならぬ「神様の資本」増強のために、より積極的に投資できる力です。

(N.M. 70代)


2021年11月21日日曜日

空虚さからの解放

上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。 

新約聖書 ヤコブの手紙 3章 17節

 

教会に来る以前、私が熱望していたのは「知恵」を得ることでした。劣等感が強く、いつも不安だった私は、「知恵」に満ちていれば幸せになれると、本気で信じていました。だから、何か良いものが得られそうな本を片っ端から読んでいました。でも、読めば読むほど不安は深まり、そこに空虚さまでも加わりました。

そんな時、読んでも訳が分からず、放り出したままの聖書を思い出しました。むしょうに、聖書に何が書いてあるのか知りたくなりました。「教会に行けば教えてくれるかもしれない」そう思って日曜日に教会の礼拝に行ってみました。牧師さんに「聖書に何が書いてあるのか教えて欲しい」とお願いしました。そして、神さまのことを一から教えていただきながら、自分で聖書を読み始めました。書かれていることの意味は、ほとんど分かりませんでした。でも、憑かれたように読み続けて一か月が過ぎたとき、あの心の不安、空虚さが消えていることに気付きました。

知識に富み、賢くあることで武装することを、もう目指さなくていいのだ。「上からの知恵」である神の言葉が、私を解放してくれたと信じています。

(H.K.  50代)