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2024年10月6日日曜日

より清く

もし、私達が自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、全ての悪から私達をきよめて下さいます。

新約聖書 ヨハネの手紙一 1章 9節

前の1:8に「もし、罪はないと言うなら、私達は自分を欺いており、真理は私達のうちにありません。」と書いてありますが、実際悪い事はしてないし、それなりに正しく生きているなぁ、と思っていました。でも実はまだ罪がある事に気がつきました。それは心の中にあるもので、ずっとずっと昔の事なのに、未だに親に対して憎しみが残っていたり、怒りが込み上げたり悪口を思ったり、嫉妬したり、他者に対してもありました。

つまり、きっと生き続ける限り、悪い話を聞けば怒りが込み上げたりするもので、一生罪がないって事はないと思ったのです。

毎日お風呂で体を洗うように、キリストの贖いは必要なのでしょう。「私は今日は外に出ていないし、汗をかいてないから綺麗なの」と1ヶ月、体を洗わなかったら、いくら外に出歩かなくてもさすがに臭いがするのでは?と思います。

私達には贖いという神の恵み、神のシャワーを浴びる特権があるので、むしろ欲張って綺麗にしてもらおうではありませんか。

神の前に立った時に、汚くて恥ずかくて立てないなんて嫌ですよね。いつも綺麗にしてもらって、堂々と立てる自分でいたい。

私達の心を洗い清める事が出来るのは、神様しか出来ないので、もう全部、心の全てを裸のように神の前にさらけ出す、私達ができるのはそれだけだし、それで充分なのです。

(Y.S. 40代)



2024年5月26日日曜日

神は愛です

神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。

新約聖書 ヨハネの手紙一 4章 17節

40年程前、まだ、20代に入った頃、人間は死んだらどうなるのだろう?当時では、まだ珍しい拒食症になった時に、死を意識し始めた。幸いにも、小学生まで教会学校に時々行っていたので、母が聖書をクリスマスにプレゼントしてくれていたので、部屋の奥にあった。聖書の中に答えがあるかも知れないと思い、最初から読み始めた。しかし、神が誰なのかわからなかった。父なる神、聖霊なる神、子なる神…三位一体に躓いていた。しかし、この聖句を読んだ瞬間に、目から鱗が落ちる経験をした。神様がわかったのです。嬉しくて、リビングにいる家族に聖書を見せ神は愛なんだよと伝えた事を今でもしっかりと記憶しています。神は私の内にとどまってくださいっている。今もこれからも感謝です。

(S.K. 60代)



2023年3月26日日曜日

清められるよろこび

自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

新約聖書 ヨハネの手紙一 1章 9節

先日、父を亡くした。父はクリスチャンではなかったが、私の受洗に反対もせず、教会へ行くことを励ました。それなのに、私はキリストを積極的に父に話すこともなく旅立ちを見送ったのだ。ふと口をついて出たのは「主よ、日に日にましたまえ、罪を悔ゆるまごころを。清めらるる身の幸を。」の賛美(讃美歌508)だった。父に救い主の御業を話さなかった悔い、正しい方を十字架にかけた私の罪、それにより清め救われた自分。願わくは父も救いに与かってほしい、この讃美歌は難破船上で、死の恐怖に駆られた人々が歌ったとかを聞いたことも相まって、私は父の旅立ちに際し 逝く道の平安を祈らずにはいられなかった。私は主の慰めのうちに、主に仕える喜びと永遠の命の希望をもって過ごしていこう。そのことで父も安心して眠れることだろう。

(E.I. 50代)






2022年8月14日日曜日

君は愛されるため生まれた

わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。

新約聖書 ヨハネの手紙一 4章 19節

「君は愛されるため生まれた。君の生涯は愛で満ちている。(中略)君の存在が私にはどれほど大きな喜びでしょう」

これは韓国のイ・ミンソプ牧師が作り世界中で歌われている歌です。私がこの歌に出会ったのは医学生の時。教会学校の先生をしていました。教会に来る子供達に届けたい、その思いで選曲していましたが、いつも勇気づけられ、励まされるのは私の方だったかもしれません。その後、小児科医となり、NICUで働いていた頃。先天的な病気で少ししか生きられない赤ちゃん達と出会いました。彼らがこの世に誕生した意味、それは周りの人から愛され、愛で満ちた生涯を送るためだと当初は思っていました。しかし、どうでしょう。赤ちゃんを通した人との関わりの中で、日々愛に触れ心が満ち足りるのは、やはり私の方だったように思います。どんなに小さな命にも、神様の愛が注がれ、周囲をも巻き込んで実を結んでいるように感じました。

その後、子どもの心の専門医となりました。周囲とうまくやれず自暴自棄になる子、虐待されて心がバラバラになってしまった子、死を選ぼうとする子等々、日々様々な子供達に出会います。自分の子どもを愛するのは簡単ですが、彼らは一筋縄ではいきません。それでも、神様が私を愛し、私の存在を喜んでくださるように、私もまた彼らを愛し、彼らが「自分は大切にされている」と思えるよう日々診療に励んでいます。

(R.O. 30代)




2022年6月5日日曜日

神は愛なり

愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛するものは皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 

新約聖書 ヨハネの手紙一    4章 7~8節

 絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト-イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一   5章 17~18節

私のイエス様との出会いは、キリスト教の幼稚園に通っていた時で、「かみはあいなり」と書かれた卒園アルバムに、幼かった私は、理解できず、なんで紙は愛なりなのかたずねたとき、神様は愛で貴方を導いてくださるとお聞きしました。その後娘が初等部に入学した時、部長先生が聖書に書いて下さった聖句が、「絶えず祈りなさい」でした。それから時がたち、受洗させていただきました。日曜礼拝でのお説教は心に響くものでした。数年前、手の関節切除手術を受け、不安な気持ちでいた時、この二つの言葉が浮かんで来て、手術中ずっと神様が共にいて下さり、終わるまで、賛美歌を、心の中で歌っていたように思います。本当に、不思議なくらい、幸せな時でした。今思うと、私の人生の折々に、この二つの聖句が私を、支え、導いて下さったとおもいます。

(F.S. 70代)


2021年10月10日日曜日

禅寺の聖句

神は愛なり

新約聖書 ヨハネの手紙一  4章 16節(文語訳) 

 

コロナで仕事を失ったシングルマザーが役所で支援を求める場面を報道番組で見ました。担当者が「あなたは(支援の)要件を満たしていません」と答えると、「ここに来たら助けてもらえるんじゃないんですか?ダメなんですか?」と泣き崩れました。衝撃でした。そして、「この人を救うものは何か?」と切実に考えさせられました。自分自身も人生の荒波にもまれていたからです。 

そんな私が書店で偶然手にした本がありました。その中に、著者が不治の病に冒されて救いを求めて禅寺に行く場面が出てきます。その禅寺に、不思議なことに聖書の一句「神は愛なり」が掛かっていたのです。この一句と禅僧の「今を生ききれ!」の言葉によってこの著者は死の淵から生還しました。「神が愛であるなら、この世界は悪いものであるはずがない」。そう思ったそうです。 

私もその本を読んで、「神が愛なら私が経験している苦難も良きことなのだ」と覚悟が決まりました。救われました。あのシングルマザーにも知ってほしいことでした。

(M.I. 60代)