涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
旧約聖書 詩編 126編 5節
上の言葉、キリスト教書店に置いてある本のしおりなどにもよく用いられるので、クリスチャンなら目にしたことがあるでしょう。しかし、その意味を正しく理解しているでしょうか? 恥ずかしながら私は、「種まきが苦しくても、豊作の時には喜びに変わる」ぐらいの受け止め方をしていた気がします。
詩編を読むとき、私は羽鳥明著『今日の詩篇 明日の詩篇』(いのちのことば社)を手元に置いて参照するのですが、この個所に関する羽鳥先生の次の解説には目を開かされました。(*注:羽鳥本で引用されるのが新改訳聖書のため、新共同訳が用いる「詩編」ではなく「詩篇」という字が使用されています)
……「蒔かぬ種は生えぬ」、これこそ原則中の原則ではないでしょうか。
ですから、涙とともに、いのちの種、愛の種、親切の種、祈りの種を
蒔き続ける人だけが、やがて喜びながら刈り取ることができるのです。
蒔かないかぎり、生えないのです。……
私だけかもしれませんが、考えさせられました、「いのちの種、愛の種、親切の種、祈りの種」をまくとは。「蒔かないかぎり、生えない」という結びも効いているじゃないですか。最近他界した女優・岸惠子の自伝の副題「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」や、誰が言ったか知りませんが、「宝くじは、買わんと絶対に当たらんのや」を思い出しました。後者は大阪弁なので漫才師かもしれません。大阪人の私の造語も並べておきましょう。「試験は受けんと絶対に受からんもんなんや」。―― こんなことに頭を巡らしていると、ローマの信徒への手紙10章14節以下が浮かんでくるのですが、……浮かばない人は聖書を開いてみてください。
(70代前半)




































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