2023年1月29日日曜日

祈りの時

わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 8章 26節~27節

もうずいぶん前のことですが、信じられない出来事が起こり、呆然となったことがあります。その時の自分を今、はっきりと思い出すことができます。

それまで日常的に、また何かあった時に、思いや気持ちを言葉にして祈っていましたが、その時はあまりのショックに言葉が全くでませんでした。ただ、ただ、神様、、、と、うずくまりました。なにも言葉が出ないまま長い時間立ち上がることができませんでした。

その後、だんだんそれは現実となって大変な時期を過ごしましたが、守られて何とか乗り越えることができました。そして、後になって、この聖句に出会ったのですが、その時の不思議な体験を思い出しました。忘れることができません。言葉はなくてもむしろ深く祈った自分を感じ、包みこまれるような感じがしたのを覚えています。

祈りの言葉は大事ですが、心を真っ直ぐに神様に向けることで弱い私の心のなかに神様が入ってきてくださったのだとあらためて確信いたしました。神様は私たち一人一人の心の奥をご存じなのだと思いながら祈っています。

(M.N. 70代)


























2023年1月22日日曜日

わたしのもとに来なさい

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

新約聖書 マタイによる福音書 11章 28節

46歳で受洗して聖書を読むようになった。この言葉に初めて触れたとき、なんて優しく力強い言葉だろうと心に安らぎを得た。

それまで不思議に思うこともあったクリスチャンの義母や、あの方この方の姿が少し理解出来るようになった。その人たちは小柄な姿からは想像もつかないような困難を乗り越えてこられ、いつも柔和で感謝の言葉が多い毎日を過ごしておられる。人のせいにして思い煩うことの多い私は、イエス様から学び御手に委ねて真実に生きる事の大切さを教えられた。

(H.K. 70代)
























2023年1月15日日曜日

エルサレムの地を訪れて

はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。

新約聖書 ルカによる福音書 23章 43節

22年末にイスラエルのエルサレムに旅しました。古代イスラエル王国が建国された古都で、旧市街には石造りの建物が連なり、当時の面影を色濃く残しています。イエスはこの地で約2000年前、十字架につけられて息を引き取った後、復活した……。新約聖書にはこう記されています。この地を歩くと、イエスが確かに存在し、「神の子」として伝道を続けたことが分かります。死の直前、イエスが祈りをささげたオリーブ山、十字架を背負い、歩いた石畳、そして死にて葬られたゴルゴダの丘。各所に教会や碑が建てられ、巡礼や観光の人々が訪れています。

イエスは2人の強盗と並んで十字架につけられました。そのうちの1人が罪を悔い、死の直前、イエスに「わたしを思い出してください」と話します。そのとき、イエスが告げたのが表題の言葉でした。人間は誰でも罪を犯します。それでも神の前に悔い改めれば、許される。この聖句に癒され、勇気づけられています。

(H.A. 50代)






















2023年1月8日日曜日

忍耐しなさい

兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。

新約聖書 ヤコブの手紙 5章 7~8節

前、ある方の著書で「たとえ、遅くなっても待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。」(ハバクク書2章3節)の聖句を目にしました。何か不思議な言葉だと思いましたが意味がよくわからず、ただ「遅くなっても待っておれ」の部分だけが心に残っていました。

そして最近になって冒頭の聖句に出会い、「ああ、これだったのか」とようやくわかりました。「それ」とは「主が来られるとき」なのだ、主は全てにおいてふさわしい「そのとき」を必ず用意してくださっている、それまで慌てず騒がず、忍耐して待てばよいのだ、と。

私はせっかちで、思うように事が進まないとすぐに焦ったりイライラしたりしてしまいがちです。でも心を落ち着かせて、神様が備えてくださる「そのとき」を、忍耐しつつ、ひたすら祈って待てるようになりたいと思います。

(N.N. 60代)












2023年1月1日日曜日

険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ

谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。

旧約聖書 イザヤ書 40章 4節

ヘンデル作曲オラトリオ「メサイア」が好きだ。ハレルヤコーラスはもちろんだが、アリアで歌われるこのフレーズも大好きだ。たぶん、道をきれいにせよと歌っているのだと思う。誰が通るかといえば、主が通る道である。夫は山登りが好きで、登山者の為に山道を整えたりする、ましてや主がお通りになる道は整えなければならない。私も主をいつでも迎えられるよう、自身を整え、静かに平らな気持ちでと思いながら、日常の雑事に追われ、それはなかなか難しい。思えば、事あるごとに、主は私の行く道を整えて下さった、乗り越えられそうにない山は低く、深い谷も浅くして下さった。私は自らを低くし、主と共に歩む道を整え、そして主のご栄光を映すことができるように広くなだらかな道を進んでいこう。もし山や谷があれば、歩きやすいように整えていこう、難しければ、必ず主が助けてくださる

(E.I. 50代)