2023年3月26日日曜日

清められるよろこび

自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

新約聖書 ヨハネの手紙一 1章 9節

先日、父を亡くした。父はクリスチャンではなかったが、私の受洗に反対もせず、教会へ行くことを励ました。それなのに、私はキリストを積極的に父に話すこともなく旅立ちを見送ったのだ。ふと口をついて出たのは「主よ、日に日にましたまえ、罪を悔ゆるまごころを。清めらるる身の幸を。」の賛美(讃美歌508)だった。父に救い主の御業を話さなかった悔い、正しい方を十字架にかけた私の罪、それにより清め救われた自分。願わくは父も救いに与かってほしい、この讃美歌は難破船上で、死の恐怖に駆られた人々が歌ったとかを聞いたことも相まって、私は父の旅立ちに際し 逝く道の平安を祈らずにはいられなかった。私は主の慰めのうちに、主に仕える喜びと永遠の命の希望をもって過ごしていこう。そのことで父も安心して眠れることだろう。

(E.I. 50代)






2023年3月19日日曜日

キリストにより得られる自由

この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。

新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙 5章 1節

ガラテヤの信徒への手紙に信仰について重要な記述があります。5章1節にパウロは次のような聖句を残しています。「この自由を得させるために、キリストは私たちを自由の身にしてくださったのです。」

我が国においてキリスト者になることがどういう意味があるのか、高校3年生の時、明確な答えを出さずに入信し、親の召天に伴い、仏教の位牌を引き継いで現在に至っています。

パウロは得られる自由について断言します。もし割礼を受けるなら、私たちにとってキリストは何の役にも立たない方になります。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。私たちは義とされたものの希望が実現することを、霊により、信仰に基づいて切に望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。

(K.N. 80代)




2023年3月12日日曜日

真理はあなたたちを自由にする

わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。

新約聖書 ヨハネによる福音書 8章 31節~32節

の真理を知り受け入れることができれば、どれ程心が自由になれるだろうと憧れ続けていますが、弱さ、頑なな心、思い込み等々から真理への道は遠く感じられる不自由な自分がいます。

しかし、神様はイエス様により、そのままの私たちを愛し、赦してくださっていることを知らせてくださいました。クリスチャンになるための洗礼を受けた日から真理を知り、よき人になれるわけではありませんが、イエス様を信じて学び、ついていこうと決心することで、今までの生き方が変わり、少しずつ変えられていくのだと思います。

長い道のりですが、「求めよ。さらば与えられん。」というイエス様の言葉をよりどころに祈り求め続けたいと思います。

(S.O. 60代)






































2023年3月5日日曜日

神の愛が示されて

しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 5章 8節

神の愛はどこにおいて示されたのか。イエス・キリストが十字架にかかって死なれたことによってである、と聖書は語ります。正しい人間でもなく、弱く、罪人である私たちのために、キリストは死んでくださいました。しかし、それは2000年前の出来事であり、遠い地での出来事です。私たちのためと言っても、時間的にも空間的にも隔たりがあります。しかし、だからこそ、神の愛が私たち一人一人に示されることは当たり前ではなく、神の奇跡なのだと思います。

高校生の時の不登校を通して、自分の弱さと罪に気づかされた私は、ただ神が存在することを信じているのではない何かをクリスチャンたちの中に見ていました。それを知りたいと思いました。今思えば、それは神との平和です。罪は神と私たちの間を隔てます。しかし、神が私の罪をキリストの十字架によって赦してくださったと信じたとき、私は確かに神と和解できたのだと知りました。今日も世界中の人々に神の愛が示されて、神と人との平和、人と人との平和が実現しますように。

(K.T. 40代)