2023年5月28日日曜日

神様が教えてくれる

どんなことでも、思いわずらうのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 4章 6節

本当につらいとき、どちらかの道をえらばなければならないとき、ああしたらどうか、こうしたらどうか、と色々考えることがあります。そんな時神様に頭をたれておいのりします。そして、「神様ならどうしますか。教えてください」と、頭をまっ白にしてありのままをうちあけます。

おいのりをしていると、考えがはっきりしてくることもあれば、毎日の生活をするなかで自然と道がひらけてくることもあります。これって、神様にみちびかれているということだと思います。


わたしの前にある人生は、神様がつくってくれた道だと思っています。だから分かれ道に来ると、いつも立ち止まってお祈りします。

「神様ありがとうございます」といってお祈りすると、気持ちがほわっとあたたかくなっているのがわかります。

神様はいつもわたしたちのそばにいて、光をてらしてくれています。それって、神様の愛なんだと思います。

(Y.T. 50代)











2023年5月21日日曜日

自分では小さなことだと思っていても

あなたがたも聞いているとおり『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。

新約聖書 マタイによる福音書 5章 27~29節

このイエス様のことばを初めて読んだとき「厳しいなー。人間には無理じゃないの?」と思いました。しかし、マザーテレサの「思考に気をつけなさい。思考は言葉に、言葉は行動に、行動は習慣に、習慣は性格に、性格は運命をつくる。」という言葉を聞いた時に、イエス様のこのことばの重要な意味を感じました。自分では些細なことだと思いたい心の中の感情、欲望、思考の重大さにいつも気を付けていないといけないのだと知りました。そして、何が正しくて何が罪であるのか、何が真理なのかをもっと深く理解できるように聖書を読み、イエス様のことばを学んでいきたいと思いました。

(S.O. 60代)










2023年5月14日日曜日

春の庭で神の心について思うこと

自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。

新約聖書 マタイによる福音書 6章 25~27節

“14歳で身長180㎝以上・・。栄養管理士がたどり着いた・・・”これは、最近インターネット上でよく見かける広告である。若くして、人もうらやむ立派な体格に成長できるというお奨めメッセージである。

これら現代的な広告メッセージを見て思い出すのは、かつて、キリスト者の阿部光子さんが書いておられた「早く芽を出して成長した黒豆は、早々と鳥に見つかり食べられてしまったが、どうもさえないでゆっくりと芽を吹いた黒豆は、立派な木に育って実を結んだ」という話である。

私たちの目から見れば「早く成長した黒豆の芽がよい豆で、なかなか芽を出さない黒豆は役立たず」と考え勝ちであるが、良き花を咲かせ実をつけ命をつないだのは、私たちの目から見て、さえないとみられた黒豆の方だったのである。

この10年、自然豊かな環境の中で、これと同じような体験をした。それは、庭に植えた水仙の芽生えの話だが、まだ寒いうちに早々と芽を出した水仙5本は、ある日その芽がものの見事に鎌で刈られたようになくなっていた。新芽の大好きな鹿に見事に食べられてしまったのである。自分の常識では、水仙の芽・葉は人間には毒で、動物も食べないと思っていたので、最初は何が起こっているのかわからなかったのであるが、1回でなく何回もやられているうちに犯人は鹿だとわかったのである。この水仙も、遅く芽を吹いた残りの5本は、見事に生き残り4年越しに初めて水仙の花を咲かせたのである。

人の心と神の心、あなたはどちらの心を人生の拠りどころとして生きていきたいと思われるでしょうか?

(Y.Y. 80代)








2023年5月7日日曜日

絶えず祈りなさい

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

新約聖書 テサロニケの手紙一 5章 16節~ 18節

この聖書のことばに何度も何度も元気づけられました。昨日まで仲良く過ごしていた友人が原因がわからないまま離れていきました。わたしは友人に原因を確かめる勇気すらなく、心が晴れない日々を過ごした、ということがありました。また進んでいく道を決めなければならない分岐点にたったとき、どうしてよいかわからないことがありました。苦しかったり、困ったときばかりではなく、神さまは勇気や力、すすむべき道を備えてくださいました。祈りをきいてくださいました。うれしいことがあったときもそうでした。神さまが与えてくださった喜びでした。本当に感謝いたします。これからもいつも隣りにいてくださる神さまにすべてを委ね、祈り続ける、そのような日々を過ごしていきたいと思います。

(H.K. 60代)