2023年5月14日日曜日

春の庭で神の心について思うこと

自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。

新約聖書 マタイによる福音書 6章 25~27節

“14歳で身長180㎝以上・・。栄養管理士がたどり着いた・・・”これは、最近インターネット上でよく見かける広告である。若くして、人もうらやむ立派な体格に成長できるというお奨めメッセージである。

これら現代的な広告メッセージを見て思い出すのは、かつて、キリスト者の阿部光子さんが書いておられた「早く芽を出して成長した黒豆は、早々と鳥に見つかり食べられてしまったが、どうもさえないでゆっくりと芽を吹いた黒豆は、立派な木に育って実を結んだ」という話である。

私たちの目から見れば「早く成長した黒豆の芽がよい豆で、なかなか芽を出さない黒豆は役立たず」と考え勝ちであるが、良き花を咲かせ実をつけ命をつないだのは、私たちの目から見て、さえないとみられた黒豆の方だったのである。

この10年、自然豊かな環境の中で、これと同じような体験をした。それは、庭に植えた水仙の芽生えの話だが、まだ寒いうちに早々と芽を出した水仙5本は、ある日その芽がものの見事に鎌で刈られたようになくなっていた。新芽の大好きな鹿に見事に食べられてしまったのである。自分の常識では、水仙の芽・葉は人間には毒で、動物も食べないと思っていたので、最初は何が起こっているのかわからなかったのであるが、1回でなく何回もやられているうちに犯人は鹿だとわかったのである。この水仙も、遅く芽を吹いた残りの5本は、見事に生き残り4年越しに初めて水仙の花を咲かせたのである。

人の心と神の心、あなたはどちらの心を人生の拠りどころとして生きていきたいと思われるでしょうか?

(Y.Y. 80代)