2023年6月25日日曜日

【聞くこと】と【見ること】

父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。 父を見た者は一人もいない。

新約聖書 ヨハネによる福音書  6章 45節後半~46節前半

子供の頃過ごしていた福島の会津のその場所には川が流れていて、小学生だったわたしと友人二人で夜の川沿いを歩いたことがありました。夏でした。1980年代末のその場所の夜空には天の川が見えており、無数の星々が紺青の空に散っていたのです。

「あれが、さそり座。」

わたしと同じく関東から転校してきた素性の友人が突然言いました。

「あの赤い星が一等星、アンタレス。」

彼が指差す方向に微妙な赤色の点光が瞬いて眼に見えます。

アンタレスは地球からおよそ554.5光年離れた一等星。つまりは、わたしたちは554.5光年前の過去に発された光を見ていたのでした。わたしたちは今を見ているようでいて、実は今を見ることは決して出来ない、そんな視覚を持っています。

それから年を経て、東京で大学生となったわたしは死ぬことにしました。自殺するつもりだったのです。世の中というものがどうにも不可解で、おそろしく、感覚的に言うと、人間の世界の中に独りわたしという幽霊がなぜか混じっており、その幽霊であることをひた隠しにして、でもどうにか人間世界に馴染まなければならない、馴染みたい。だが、その手がかりがまるで掴めない、という感覚。20代のはじめになるとそんな不可能性にも似た困難な感覚はいよいよ昂じてつらさとなり、わたしは圧し潰され、独り部屋で睡眠薬を二瓶煽ったのです。(わたし一人が生きていることの意味は無いのだから)そのように感じて。

それが死ぬこともなく、意図せずに回復しつつある意識の中、猛烈な頭痛と嘔吐感にさいなまれる中、ぽつんと言葉を感じました。

《どうせ死ぬのなら、死ぬ前に、君がしたいと思う事をしてみてから死になさい》

自分の部屋に独りだったのです。音で聞いたのではありません。でも、それは確かにわたしの外から不意に入って来て、関わって来て、わたしに働きかける言葉でした。

それから20年後。わたしは妻との出会いから初めて聖書を読むようになりました。幾度も読みながら過ごしておりますと、やはりある日不意に、最初に挙げましたイエス・キリストの語られた御言葉がいつもと違って感じられるようになりました。

『父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。』

そして、20数年前の出来事を思い起こしました。あの時には何なのか分からなかった、不思議な言葉との関わりを。

(ああ)

(あの時にふいに関わってくださった方はあなただったのですね)

わたしはそう感じたのでした。やはり、ある日突然に。繰り返しになりますが、実はその箇所は暗記したくなって幾度も幾度も読んで覚えてすらいたのです。でも、それまでそんな風な感じ方をしたことはありませんでした。

【聞く】こと。それは、どうやら外から入ってくる言葉がこちらの深くに存在し働きかけてくる、双方の結びつきの事らしいのです。わたしたちの耳から、目から、言葉はたくさん入って来ます。では、この結びつきがわたしたちの中に常に発生するのかと言えばそうではない。この【聞く】という事は、確かに《わたし以外の何か》の働きかけがあって初めて生じるらしいのです。

目で見ることはできない、しかし聞くことは出来るー。挙げた聖書箇所で、イエスキリストは、わたしたちと神との関わりの在り方を言われていることを知りました。

世の問題は多く、生活の難題もあり、そしてまず自分の定まらなさに悩む時が多くあります。そんな時、

《わたしがあの時にあなたにしたことを忘れたのか》

《わたしが居ないと言えるのか》

こんな言(ことば)が、今ではわたしの中で働きかけてくださいます。わたしを支えてくださいます。そして、確かに、聖書へとわたしを向かわせ、イエスキリストの御言葉のもとへ向かわせるのです。

『父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。』

と語られた通りに。 

(A.T. 40代)




2023年6月18日日曜日

私は私のままでいい

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

新約聖書 ヨハネによる福音書  21章 17節

この聖句に「あれ?」と思った。イエスの弟子がイエスに「愛しているか」と聞かれ悲しい気持ちになるだろうか?と思った。ペトロは、「イエスのためなら命を捨てます」と言ったにもかかわらずイエスのことを3度知らないと言ったかつての自分を思って悲しくなったのか、たたみかけるように愛しているかと確認するイエスに対して悲しい気持ちになったのかは私にはわからない。だが、イエスの前にありのままをさらけ出すペトロに私は親近感を覚えるし、そんなペトロを慈しみ、「おまえのことはわかってるよ」とおっしゃるようなイエスに全幅の信頼を寄せることができる。努力はするとしても、キリストに倣うことなど、私には到底無理だ、私は私のままでいい、感謝して全てを主にお任せしようと思う。 

(E.I. 50代)
















2023年6月11日日曜日

知恵をいただきながら

あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。

新約聖書 ヤコブの手紙 3章 13節~18節

昔から世話好き、お節介やき、よく口を挟み、時には行動をもって手伝う。長い間には失敗もあり、迷惑ととられたこともありました。

このみ言葉は、そんな私に苦言を呈し、行いを自分よがりでなく、義の実の真意を理解し、主からの知恵をいただいての行動がとれるように導いてくれます。これからも謙虚に、み言葉を大切に過ごしたいです。

(F.T. 70代)














2023年6月4日日曜日

暗闇の中の光

光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。

新約聖書 ヨハネによる福音書 1章 5節

私は、とても弱い人間です。これまで生きてきた中で、『大変だったな』と思う経験は何度もあります。人には話せないほどの辛さ・苦しさを感じ、ひとりで抱えたこともありました。

まさに、暗闇の底なし沼に果てしなく入っていくような感覚でした。そんな時、この聖書の御言葉に出会いました。

 光は暗闇の中で輝いている。

光は暗闇の中で『輝いていた』という過去形ではなく、過去も、現在も、これから先も、光は暗闇の中で輝き続けて下さっていると言うのです。

この言葉に触れた時、ひとすじの光が見えたようでした。

何か大きなものに包み込まれるように支えられているような感覚を持ちました。

私が底なし沼に入っている時も、暗闇に感じていた時も、光、つまり神様の愛は暗闇の中で輝き、注ぎ続けてくれていたのです。このことはあとになってから気付きました。大変な時は、視野が狭くなりやすいのかもしれません。素直に受け入れられない時もあるかもしれません。だからこそ、弱い自分を認め、「神様ありがとうございます」と、輝き続けている希望の光を素直に受け入れられるようになりたいと思います。

(E.O. 40代)