2025年7月27日日曜日

神はすべての人を愛する

あなたがたが祭壇に供え物を捧げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置いて、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を捧げなさい。

新約聖書 マタイによる福音書 5章23~24節

神から大きな悔い改めを迫られ、私がイエス・キリストを心に受け入れた時、想像を超える大きな平安が与えられると同時に、こんな私を愛してくださる神は、私以外のすべての人も愛し、救いに導こうとされていることを理解しました。

その頃、私には大嫌いな人物、Sがいました。Sは妻の親しい友人で、私は結婚式にSを絶対に呼ばないでと妻に言ったのですが、妻は気にせずSを招待し、私とSはその日、大喧嘩をすることになります。表立って他人と喧嘩をしたことのない私ですので、Sのことがよほど嫌いだったのだと思います。

救われてから、このSと和解しなければならないという思いが私に強く迫りました。神はすべての人を愛しているからです。

どうすればできるか。電話や手紙で謝る勇気はなく毎日祈っていると、トワ・エ・モアの歌のように「ある日突然」、我々夫婦が出席したキリスト教家庭集会にSの姿があるではありませんか。Sは学生時代の私と同様、クリスチャンになるなんて考えられない人物なのに。

目が合った瞬間、私とSは歩み寄り、「あの時はすまなかった」と互いに謝り、神に感謝を捧げつつ和解の涙を流していました。Sは私と仲たがいした日に大きな衝撃を覚え、やさしさ溢れる私の妻のようになりたい一心で教会につながり、この日の家庭集会を知ったとのことでした。

以上は、私に信仰が与えられた40年以上前に起こった出来事で、それからの信仰生活の大きな励ましになった経験です。冒頭の聖書の言葉を目にするたびに、いくぶんニュアンスは異なりますが、この時のことを思い出すのです。

(H.M. 70代)


2025年7月20日日曜日

闇の力からの救い

御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

新約聖書 コロサイの信徒への手紙 1章13~14節

闇の力に翻弄されていたとしか言いようのなかった時期がありました。当時、心が深く傷ついていた私は、悲しみから死にたい思いにとらわれていて、どうしようもありませんでした。

死んではいけない、生きなければ、と思うのですが、死にたい思いはぬぐえず、そして、死にたい思いがだんだんと消えてからも、闇の力が私を死なせようとしている、と感じることが多々ありました。

本当は、生きることは私の選択云々ではなくて、神さまのご意思です。神さまが私を造り、命を吹き入れ、生かしておられるのに、「私なんか要らないんだ」という私の思いと、それを私にささやく悪魔が神さまに反していたのです。苦しかったです。

私の命をめぐる戦いは激しかったけれども、神さまは、御子の支配、つまり、イエスさまの守りの御手の中に移してくださいました。なにより、罪が赦されて、神さまと共に、本当の意味で生きることができるようにしてくださいました。

(K.T. 50代)


2025年7月13日日曜日

私の背中を押してくださる神さま

恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる。

旧約聖書 歴代誌下 20章17節

特に気になることもないけれど、明日職場や学校に行くのが嫌だなぁと感じることはないでしょうか。私は日曜日の夜はそのような気持ちになることがあります。「サザエさん症候群」というのだそうです。日曜日の夕方になると明日のことを思い憂鬱になる、日曜夜にアニメ「サザエさん」が放映される時間帯だから、だそうです。仕事や勉強や人間関係において心に引っかかることがあれば、なおのこと「サザエさん症候群」が心を覆ってしまうことでしょう。そういう時は 神さまが共にいてくださる、だから恐れず、明日も出ていこう!と自分を奮い立たせます。明日、敵が職場や学校にいるわけではないのです、おじける自分の心が敵です。恐れる気持ちに打ち勝って、神さまに背中をおしていただいて、さぁ、明日も出て行きましょう。

(E.I. 60代)


2025年7月6日日曜日

他人を裁く危うさ

隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。

新約聖書 ヤコブの手紙 4章12節

ヤコブ4章12節に、「隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか」とあります。この言葉の前には「裁きを行う方は、おひとりだけです」ともあります。つまり、本当に裁くことのできる方は神のみであり、人間は誰も人を裁けないのだと言ってるのです。

会社の後輩が1年間にわたり違法なパワハラを上司から受けました。やがて後輩は心療内科に通うようになり、うつ病になるのではないかと心配する程でした。見るに見かねた私は文書をもって上司と会社を告発しました。その結果上司は処分を受け、公式謝罪と減給処分を受けました。腹立たしいのはそれからです。パワハラをした上司と、彼に加担していた仲間はそれで罪をつぐなったかのように一斉に口を閉じ、まるでパワハラなどなかったかのように振る舞い始めたのです。私の心に、深く深く彼らを裁く思いが根付きました。彼らを赦せませんでした。

しかし今、長い時間が経ってみて思い浮かぶのは表記の聖書の言葉なのです。他人を裁くお前はいったい何者だ! そう問われた時、私の中に答えがないのです。そうです。私もまた彼らと同じように自分の罪を、まるでなかったかのように振る舞っているのではないかと、この聖句によって思わされるのです。

(M.I. 60代)