2022年8月28日日曜日

光の子として歩める幸い

あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 5章 8節

聖書は、人が神さまと共に生きていない状態を暗闇と表現しています。たしかに、クリスチャンになる前の私は、自分の中のなくそうとしてもなくせない悪い思いをもてあまし、私の心の中のどのような思いをも知っておられる神さまの裁きを恐れていました。なぜなら、私は幼い頃から教会に通っていて、「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(新約聖書 ヘブライ人への手紙9章27節)ということを知っていて、死というものが果てしなく落ちていく暗闇のように感じていたからです。

しかし、18歳の秋のことです。私は突然知りました。イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、本来は私が受けるべき罪の裁きを身代わりに受けてくださったのだということを。キリストの十字架は私の罪を赦すためであり、私が神と和解して、神と共に生きるようになるためであったのだと知りました。もう死後の裁きを恐れなくてよくなりました。

クリスチャンになって私が変えられたことはたくさんありますが、その中でも大きなことは、神さまが喜ばれない思いを神さまの前に包み隠さず告白できるようになったことです。

そうすると、神さまが私の中の暗闇を取り去ってくださいます。今は主イエスに結ばれて、光の子として歩める幸いを感謝します。

(K.T. 40代)


人に何かを与えるという意識

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

新約聖書 マタイによる福音書 7章 12節

この個所が「私を支える聖書の言葉」です。

なぜなら、この聖書の個所は私が通っていた中学・高等学校で一番大切にされ、何度も伝えられてきた聖書の言葉だからです。「人にしてもらいたくないこと、嫌だと思うことは他の人にもしないようにする」ではなく、「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」だという点がポイントだと思います。「人にしてもらいたいと思うことを人にもする」というのは、自分が「人に何かを与える」という行為を、前向きに、積極的にやろうという意識がなければできないことだと思います。この聖書の個所からは、相手を不快にさせない必要最低限のマナーだけでなく、それを超えた、相手にとってプラスになることをしようという意識を思い出させるため、これからもこの聖書の言葉を支えにしていきたいです。

(M.T. 20代)


2022年8月21日日曜日

まっすぐに考える

ただし見よ、見いだしたことがある。
神は人間をまっすぐに造られたが
人間は複雑な考え方をしたがる、ということ。

旧約聖書 コヘレトの言葉 7章 29節

20代のころ、私は常に悩んでいました。「なぜ、人は身勝手なのか。いや、自分の方が身勝手なのか。」、「こんなに生きにくい世の中ならば生きる意味はあるのか。」。思考は深く沈み、答えが出ないまま、深夜の私の頭をぐるぐる巡ります。

私は、救いを求め手当たり次第、本を読み漁りました。そして、三浦綾子さんの自伝(「光あるうちに」)に導かれ、単身で教会に訪れ、30歳のときに洗礼を受けました。勿論、洗礼を受けても、悩み自体がなくなるわけではありません。それでも神様はおっしゃってくださるのです。「『複雑な考え方』は、私は望んでいないんだよ。まっすぐに私を求めてくれさえすれば、うまく計らうよ。」と。私は悩みをすべて神様に預け、安心をして眠りにつけるようになりました。

(R.K. 40代)



内なる宝

恐れることはない、わたしたちはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右手であなたを支える。

旧約聖書 イザヤ書 41章 10節

日頃深いことは考えずに過ごせている私でも、不意に真剣に考えて答えを出さなければならない時がある。なかなか答えが出せない。でも本当のところ、心の奥の方では答えが出でいるのだ。なぜそれを答えとしないのか…それは、単に自信がないから。

コロナ禍にあって、これまでやったことの無い仕事をする機会が巡ってきた。挑戦してみたい。でも、でも、とにかく自信がない。悩んでいた時にふと思い出した聖句がこれであった。

大学の進学先を悩んでいた時に出会った箇所で、背中を押してもらったことを思い出し、えいっと飛び込んでみた。

飛び込んだ先はとても大変だったけど嬉しい悲鳴。とても充実した楽しい仕事ができている。

いつになっても私は「土の器」だけど、これからも内なる宝に支えられ、強めて歩んでいきたいと思う。

(M.M. 40代)




2022年8月14日日曜日

君は愛されるため生まれた

わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。

新約聖書 ヨハネの手紙一 4章 19節

「君は愛されるため生まれた。君の生涯は愛で満ちている。(中略)君の存在が私にはどれほど大きな喜びでしょう」

これは韓国のイ・ミンソプ牧師が作り世界中で歌われている歌です。私がこの歌に出会ったのは医学生の時。教会学校の先生をしていました。教会に来る子供達に届けたい、その思いで選曲していましたが、いつも勇気づけられ、励まされるのは私の方だったかもしれません。その後、小児科医となり、NICUで働いていた頃。先天的な病気で少ししか生きられない赤ちゃん達と出会いました。彼らがこの世に誕生した意味、それは周りの人から愛され、愛で満ちた生涯を送るためだと当初は思っていました。しかし、どうでしょう。赤ちゃんを通した人との関わりの中で、日々愛に触れ心が満ち足りるのは、やはり私の方だったように思います。どんなに小さな命にも、神様の愛が注がれ、周囲をも巻き込んで実を結んでいるように感じました。

その後、子どもの心の専門医となりました。周囲とうまくやれず自暴自棄になる子、虐待されて心がバラバラになってしまった子、死を選ぼうとする子等々、日々様々な子供達に出会います。自分の子どもを愛するのは簡単ですが、彼らは一筋縄ではいきません。それでも、神様が私を愛し、私の存在を喜んでくださるように、私もまた彼らを愛し、彼らが「自分は大切にされている」と思えるよう日々診療に励んでいます。

(R.O. 30代)




主がともにいてくださる

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。

新約聖書 マタイによる福音書 28章 20節

新型コロナの感染が拡大し重症の方、亡くなられる方が増えているというニュースが毎日流れ続けていた時のことです。落ち込んだ気持ちで夕食の準備をしていると「やすかれ、わがこころよ、主イエスはともにいます」の讃美歌298番がふと浮かんできました。繰り返し心の中で歌っているうちに沈んでいた気持ちが徐々に取り払われていきました。

マタイによる福音書の28章20節に「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と記されています。

主がともにいてくださることでただ不安を感じたり心配ばかりしているのではなく、今私ができることをしていこうとあらためて気付かされたと同時に力づけられたひと時でした。

(M.A. 60代)



2022年8月7日日曜日

耐えられない試練はない

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 10章 13節

数年前、突然の高熱に見舞われました。検査ののち、診断されたその病気は、対処療法しかないとのことで、解熱剤を飲む日々を過ごしました。解熱剤の効き目が切れると、またすぐに高熱が出る、その繰り返しに気持ちも体力も奪われ、また、職場に戻れるかという不安も重なり、精神的に追い込まれていました。なぜこんな目に遭うのか。どうして神様はこんな試練を与えられたのか。その時の私にはわかりませんでした。

しかし、私には看病をし、祈ってくれる家族がいて、職場復帰した際には支えてくれる同僚がいました。その存在の大きさは計り知れません。

耐えられない試練はない。逃れる道として、家族や仲間を備えてくださった神様に感謝しています。

(N.Y. 20代)


パスカルの賭け

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

新約聖書 ヨハネによる福音書 3章 16節

大学時代に仲間と神の存在についていろいろ議論をした。その中で一人の友人がパスカルの賭けの論理という話をした。「神が実在するかどうかは理性的に決定することはできない。神がいる方に賭けた場合、もし神がいなかった場合でも、失うものはない。むしろ生きる意味が増す。もし神がいたら、永遠の命を与えられる。しかし、もしいない方に賭けて人生を歩んできた場合は、滅びの中に入れられる。」脅しのような言葉で、ずいぶん乱暴な話だと思ったが、妙に説得力があった。結局僕は神が実在する方に賭けて、これまで幾多の聖書の言葉に慰められ、励まされて来た。パスカルが言うように、もし神が実在しなくても失うものはない。僕は今、永遠の命の希望の中に生かされている。

(K.O. 70代)