神の霊があなたがたのうちに宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。
新約聖書 ローマの信徒への手紙 8章9節前半
上の箇所を礼拝説教でとりあげた際(信徒が誤解しないように?)牧師は、この箇所のギリシャ語原文の意味は「神の霊があなたがたのうちに宿っているのだから」だとおっしゃいました。重要な指摘です。
原文通りに訳していないのが新共同訳聖書だけなのか気になり、他の聖書の該当箇所を開いてみました。
<新改訳>もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら
<口語訳>神の御霊があなたがたの内に宿っているなら
<リビングバイブル>もし神の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら
<フランシスコ会訳>神の霊があなたがたに宿っているかぎり
<現代訳(尾山令仁・個人訳)>神の御霊は、あなたがたのうちにおられるのだから
現代訳が牧師の説明に最も近く、フランシスコ会訳が新共同訳と類似。他は「(もし)~なら」を採用しているため、「~かぎり」以上に誤解を招きそうに思いました。同様のことは、ローマの信徒への手紙8章31節後半にも言えます。新共同訳ではここを「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれが私たちに敵対できますか」と訳しているのですが、ある説教書では、ギリシャ語原文に触れつつ、次のように説明しています。
「……『もし、神がわたしたちの味方であるなら』というのは、味方でない場合もありうるということをふくんでいるのではありません。神がたしかに味方なのだから、ということであります。……」(著者は口語訳聖書を使用)
念のため、この箇所の他の訳を以下にご覧に入れましょう。
<新改訳>神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
<口語訳>もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれが私たちに敵し得ようか。
<リビングバイブル>神様が味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょうか。
<フランシスコ会訳>神がわたしたちに味方してくださるなら、誰がわたしたちに逆らうことができますか。
<現代訳>神が私たちの味方である以上、私たちに敵対できる者などあるはずがない。
ふだん自分が利用している聖書に違和感を覚えたら、異なる訳や英文の聖書にあたってみるのが有益であると、改めて知らされた一日でした。
(H.M. 70代)
