2023年11月26日日曜日

平和を求めて

実に、キリストはわたしたちの平和であります。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 2章14節

昨年2月、ロシアが突然ウクライナに侵攻し始まった戦争。今年10月、ハマスによるイスラエル襲撃から始まったガザでの紛争。その他、彼方此方での内戦、迫害。尊い命が失われ、街も自然も壊されています。暴力では、何も解決出来ない事は、過去の歴史から学んできている筈なのに・・・と、暗い気持ちになります。

世界中から停戦を望まれながらも、誰も止められないでいます。

神さまに、どうか介入して戦いを止めて下さい。と祈ります。

祈りつつ、聖書を開くと、「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」と、み言葉を示されました。キリストが十字架を通して、敵意を取り除いて下さり、平和の福音を告げ知らされました。

「もはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、・・・そのかなめ石は、キリスト・イエスご自身であり、・・・」、キリストの十字架によって、差別もないと宣言されているのです。

争いの根本には、差別や偏見が発端になっている事も多いと思われます。主の十字架を見上げ、ひたすら平和を求め、平和を作っていきたいと祈ります。

(M.I. 80代)


2023年11月19日日曜日

ただ天国をめざして前進するだけ

兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 3章13-14

天命が見つからぬうちに高齢に達したところで冒頭にある聖書の言葉に出会い、実績を残すことばかり考えて大切なことを忘れていた自らの失敗に原因があるとわかりました。そして今、残りの生涯は神様の御計画に従って歩み、天国を目指して前進するだけの日々を送っています。その生活は充実し、豊かさに富んでいます。祈るうちに為すべき事はすべて神様が備えて下さり、迷いもなく、それらに集中できるのも喜びです。同世代人の死が伝えられる昨今、私の場合、結果を出せずに死んだとしても、死後に天国で拝見するイエス様の笑顔こそ、神様が私に下さる評価だと信じています。

(N.M. 70代)




2023年11月12日日曜日

阪神の日本一と聖書の祈り

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

新約聖書 ルカによる福音書 11章 9節後半

阪神対オリックスの日本シリーズの観客席には、ピンチやチャンスが訪れるたびに祈りの姿勢をとる多くのファンの姿がありました。「ここでホームランを」「このピンチを切り抜けて」などと祈っていたに違いありません。

阪神が38年ぶりに日本一になれたのは、阪神ファンの祈りがオリックスファンの祈りより強力だったからでしょうか。聖書には「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」と書いてありますが、この表現が出てくる場面や聖書全体が示す意図を無視して考えても意味はありません。聖書は、人間の自己満足を称賛するために書かれた書物ではないからです。

表題の箇所は、しつように頼めば必要なものは与えられる、神は求める者に聖霊を与えてくださる、という文脈の中で出てくる表現です。「必要なもの」も、神がその人を見て真に必要とお考えになるもの、ということでしょう。

聖書の中心はイエス・キリストです。そう思って表題の聖句を眺めると、「(私を)求めなさい」「(私を)探しなさい」「(私の)門をたたきない」とイエスが我々に語りかけておられる姿が見えてきます。そのことに考えが及ぶとき、最善をなさる神への信頼が芽生え、心に平安が与えられることでしょう。

(H.M. 70代)



2023年11月5日日曜日

右の手を覆う陰

主はあなたを見守る方
あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。

旧約聖書 詩編 121編 5節

う本当にだめだと感じていた時に歌を通して語られた言葉です。

献身して教会で仕えていた頃、自分で人を助けるいい人になろうとして、その反面プライドによって盲目になり、自分の罪が見えなくなり、がんじがらめになって罪から抜け出せない状態になりました。

救われて、新しくされたはずだったのに、そうではなかったのだろうか?!と思うような日々。まるで墜落してゆく飛行機のように絶望的でした。

そんな時、この詩編121編を歌詞にした曲を韓国の方に教えていただいて、それを歩きながらふと思い出したのです。

”主はあなたを守る方
右の手を覆う陰
日も月もあなたを打つことはない。

主はあなたを守る方
全ての災いから
あなたをとこしえに守ってくださる。

目を上げ、山を見よ
助はどこから・・・
天地を造られた主から来る。”

その瞬間、人っ子一人いない丘を下っていた私の右手には、あたたかい陽があたっていて、主が私の横にいて一緒に歩いていてくださる感覚が、肌で感じられました。

あまりにも罪に取り込まれていたために、罪深いことをすら素直に認められなくなっていた私でしたが、その時突然、こんな私でも、主は捨てないでくださる、こんな私になっていても、今でも共にいてくださるんだ、ということが信じられて、久々に心がとかされて涙が後から後から出てきました。

そしてその時初めて「主よ、私は間違っていました」ということができたのです。それはまるで新しい発見のように、落雷のように、私の目を開き、心を変え、自由にし、私の歩みを新しくしてくれました。

神様の慈しみに再度出会った、今でも心に残る大好きな歌です。

(A.O. 40代)