求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
新約聖書 ルカによる福音書 11章 9節後半
阪神対オリックスの日本シリーズの観客席には、ピンチやチャンスが訪れるたびに祈りの姿勢をとる多くのファンの姿がありました。「ここでホームランを」「このピンチを切り抜けて」などと祈っていたに違いありません。
阪神が38年ぶりに日本一になれたのは、阪神ファンの祈りがオリックスファンの祈りより強力だったからでしょうか。聖書には「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」と書いてありますが、この表現が出てくる場面や聖書全体が示す意図を無視して考えても意味はありません。聖書は、人間の自己満足を称賛するために書かれた書物ではないからです。
表題の箇所は、しつように頼めば必要なものは与えられる、神は求める者に聖霊を与えてくださる、という文脈の中で出てくる表現です。「必要なもの」も、神がその人を見て真に必要とお考えになるもの、ということでしょう。
聖書の中心はイエス・キリストです。そう思って表題の聖句を眺めると、「(私を)求めなさい」「(私を)探しなさい」「(私の)門をたたきない」とイエスが我々に語りかけておられる姿が見えてきます。そのことに考えが及ぶとき、最善をなさる神への信頼が芽生え、心に平安が与えられることでしょう。
(H.M. 70代)
