2025年2月23日日曜日

救いの右の手

わたしは主、あなたの神。
あなたの右の手を固く取って言う
恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。

旧約聖書 イザヤ書 41章 13節

昨年7月に大切な友人を亡くした。出産後に出会ったのに、まるで姉妹のように心が通じて、ワンオペ育児を共に戦った戦友のような存在。いつも元気だったのに、原因不明の体調不良が続き、検査入院したと思ったらそのままあっけなく召されてしまった。

いろいろな後悔に襲われ、これからのことを考えて呆然となっていた時に、自分を落ち着かせようと聖書を開いた。20年ほど前のメモが挟まっていてたまたま開いたのがこの箇所で、メモにはこのようなことが書いてあった。

「私たちは、主イエス・キリストの手の中に神の御手が示されていることを自覚して、自分も他の人を支える手となるよう教えられていることを覚えておかなければ~」

友人は朦朧とするなかで私に向けて「Thanks。だいすき」とメモを残してくれた。ヨロヨロの字なのに、私には輝いてみえて宝物になった。

神のみ手と友人からの言葉、両方から支えられていることに感謝して、自分を奮い立たせ、彼女の一番の気がかりであった子ども2人と我が子たち、4人をしっかりと支えていきたいと思う。

 (M.M. 40代)


2025年2月16日日曜日

日々の生活の中で

主はあなたを見守る方
あなたを覆う陰、あなたの右にいます方

旧約聖書 詩編 121編 5節

ある日公園で行っているラジオ体操の時、どんよりした空から雨が降り出してきました。濡れないよう大きな木の近くに移り体操を始めました。途中空を見上げた時に木の葉が雨をさえぎってくれている様子に、神様もこうして大きな御手で私たちを守ってくださっていると気づきました。普段の生活の中でふとした時に主の御臨在を感じられることに感謝します。

 (M.A. 60代)


2025年2月9日日曜日

迷い出た羊

ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。

新約聖書 マタイによる福音書 18章 12節

私たち1人1人は本当に小さな者です。毎日曜に教会に通って祈りを捧げているクリスチャンというのは「品行方正で高潔な人」のように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。人間である以上、誰もが小さな罪を心の中に抱えています。でも神様だけはそれを全てご存じです。ご存じの上で、いつも1人1人を心にかけ、いつでも憐れみと赦しをもって私たちを迎え入れてくださいます。

たとえ一時的に神様の元を離れてしまい、御心に背く生活をしていたとしてもです。この聖句にあるように、神様はご自分の群れを離れた一匹を根気よく捜し出し、見つかれば心から喜んで迎え入れてくださいます。

実は私の家族の1人も、神様の家族としていただきながら、ここしばらく教会を離れてしまっています。でも「神様だけは何もかもご存じで、いつでも喜んで迎えてくださる」ことを伝えられたら…そのためにこれを読んでくれないかな、と秘かに願い、祈っています。

 (N.N. 60代)



2025年2月2日日曜日

主の御心を知る

人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。

旧約聖書 ミカ書 6章 8節

長いこと生きていると、いろんなことがある。
人との関わりのことで考えてみれば、仕事の仲間、友人、家族とも、話し合ったりする中で、行き違いや、誤解を生じることがある。
そんな時、いやな気分になったり、思わず憤慨してしまうこともある。
自分の正当性を誇示したくなる。むしろよく考えてみれば、言わなくても心の中では、そんなふうに思う自分に気がつく。そして、私の心は落ち着かなくさ迷ってしまう。

時間が過ぎて、
祈り、やっとたどり着く。また違う方向に行こうとしていた。
大事なことは何なのか?
神の御心を知ること、「へりくだって神と共に歩むこと」に気がつく。
何度も同じことを繰り返す私なのです。

 (M.N. 70代)