あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
新約聖書 マタイによる福音書 7章 3~4節
「貴女は自己憐憫ばかりだ、神様はこんなに私たちを愛してくださっているとどうしてわからないんだ!」
「神様は全てをよいものにしてくださるのにどうして信じられないの?」
決して穏やかな「信仰生活」を送ってきていない私に、何度となくかけられた言葉だ。言われるたびに「またか」という気持ちと、「余程ご自分の目が澄んでいるとお思いなのだな」と思うのももう慣れた。人を裁くなと聖書にはある、裁いている自覚もある。最早自分は神のしもべではないと思うことの方が多い。
(やはり信仰に目に見えて燃えている人を神は選ぶのだろう)
(私の目には丸太が刺さっている。でもそう言ってくる人にはおが屑はないのだろうか)
(神の平等って、何なのだろうか)
神様、私の目には丸太があります。でも引っこ抜いたらきっと他の人のおが屑が気になります。どうすればいいんでしょうか。
あー、この繰り返しが私の信仰生活なのか。
(R.I. 40代)



