2021年11月28日日曜日

クリスマスの手袋


 「求めなさい。そうすれば、与えられる。」

新約聖書 マタイによる福音書 7章 7節

 

クリスマスの近いある日、デパートの手袋コーナーで、美しい藤色の手袋を見かけました。そのとき、教会の友人の顔が思い浮かびました。彼女に似合いそう!と、買い求めました。

教会で渡した数日後に、彼女から、こんなハガキが届いたのです。

「実は、あなたからのプレゼントを開けずに帰宅して、帰り道で手袋をなくしたと気づき、探したけれどなかった。がっかりしてプレゼントを開けてびっくりしました」

神さまは必要なものを与えてくださるのですね。

(M.H.  50代)



賜物を生かして

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。 

新約聖書 ペトロの手紙一 4章 10節

 

自分のおかれている場で、努力した成果が、思うように得られず、そればかりか、自分の望まない展開になってしまうこともあります。その原因は自分の中にあり、何とかしなければと考え行動します。しかし、思い通りにならない現実に、自分の弱さや限界が露呈し、他の人と比較し、劣等感を覚えたり、自己嫌悪に陥ってしまうことがありました。
 
そんな時に、出会ったのが、この聖句です。自分を人と比較して、落ち込んだり、悩むことはない。神さまから与えられた賜物を日々の生活の中で、精一杯発揮すればいいのだと思うと、気が楽になりました。日々の生活において自分らしく振舞うことの大切さを実感出来るようになりました。弱さ・欠けの多いこんな自分を神さまは憐れんで下さり、ありのままの私を受け入れ愛して下さっていることを覚えて感謝致します。神さまから与えられた賜物を生かし、神さまと人とに仕えて行きたいと願います。

(H.K.  60代)



2021年11月21日日曜日

空虚さからの解放

上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。 

新約聖書 ヤコブの手紙 3章 17節

 

教会に来る以前、私が熱望していたのは「知恵」を得ることでした。劣等感が強く、いつも不安だった私は、「知恵」に満ちていれば幸せになれると、本気で信じていました。だから、何か良いものが得られそうな本を片っ端から読んでいました。でも、読めば読むほど不安は深まり、そこに空虚さまでも加わりました。

そんな時、読んでも訳が分からず、放り出したままの聖書を思い出しました。むしょうに、聖書に何が書いてあるのか知りたくなりました。「教会に行けば教えてくれるかもしれない」そう思って日曜日に教会の礼拝に行ってみました。牧師さんに「聖書に何が書いてあるのか教えて欲しい」とお願いしました。そして、神さまのことを一から教えていただきながら、自分で聖書を読み始めました。書かれていることの意味は、ほとんど分かりませんでした。でも、憑かれたように読み続けて一か月が過ぎたとき、あの心の不安、空虚さが消えていることに気付きました。

知識に富み、賢くあることで武装することを、もう目指さなくていいのだ。「上からの知恵」である神の言葉が、私を解放してくれたと信じています。

(H.K.  50代)




罪なき者が打て


 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 8章 7節     

 

宗教指導者たちがイエスを試そうとして、姦通の現場で捕えられた女性を連れてきました。彼らは「法律では姦通者は石で打ち殺せ、となっていますが、どうお考えですか。」とイエスにいった。それを聞いてイエスが発せられたのが冒頭の言葉です。このイエスの言葉を聞いて年寄りから立ち去り始め、そして誰もいなくなったと書かれています。これまでの自分の人生を振り返る時、石を投げられずに去っていった人たちに自分が重なって見えました。むしろ、自分はこの女性と同じように、罪を問われなくてはならない者であることを思い知らされました。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。」というイエスの言葉を聞いた時、彼女はどれほど感謝と喜びに打ち震えたことかと思います。僕にも向けられた、このイエスの言葉に安堵し、救われました。「行きなさい」が「生きなさい」と聞こえて、心から悔い改めるとともに、感謝の思いにあふれました。

(K.O.  70代)



2021年11月14日日曜日

すべて益となる

万事(すべてのこと)が益となる。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 8章 28節

 

4年前、職場の後輩に対する上司のパワハラを見かねて文書をもって告発しました。組織を相手にした個人の闘いは孤独な闘いでした。加えてプライベートでも、あるしんどいことに対応を迫られました。こうして周囲から楽しいことが消えました。

私はそれまで、人生に起こる「善いこと」と「悪いこと」を別々のものと考えてきました。ですから、「なぜこんな悪いことが続けて起こるのか」とその意味を理解しかねました。でも、その苦しみの中で、「神が愛である以上、すべて起こることは本当は善いことなのではないか」と気づきました。希望が見えました。

ある医師が医学生の時に手首をガラスで切ってしまい、外科医の道を閉ざされたそうです。やむなく精神科医の道を選び、後年、日本における終末期医療(ホスピス)の第一人者となりました。柏木哲夫先生です。その柏木先生が人生を振り返って、「不運」は実は「幸運」だったのだ、すべては益であったのだと語っています。

2年前、パワハラ上司は辞任しました。職場は後遺症に苦しんでいますが、上記の聖句のごとく、苦しかった経験が益となる日がやがて来ます。

(M.I. 60代)




へりくだって神と共に歩む

人よ、何が善であるのか。
そして、主は何をあなたに求めておられるか。
それは公正を行い、慈しみを愛し
へりくだって、あなたの神と共に歩むことである。 

旧約聖書 ミカ書 6章 8節(聖書協会共同訳)

 

聖書は、私たちを神と共に歩むことへと導いています。それが私たちにとっての幸いであるからです。神が私たちに求めておられることは、そんなに多くはありません。公正(正義)を行うこと、慈しみを愛すること、そして、へりくだって神と共に歩むこと、です。

この聖書の言葉は、私が自分の歩みを振り返る時に、とても大切にしているものです。私は、神が与えてくださった人間関係を大切にしたいと願っています。しかし、自分の歩みを正直に振り返ると、他者に対しての愛が欠けることがあることに気づかされます。そんな時こそ、神の前にへりくだり、私を導き続けてくださる神と共に歩みを進めたいと思います。

(K.T.  40代)



2021年11月7日日曜日

神様はずっとそばにいてくださった

死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。

旧約聖書 詩編 23編 4節


小さい頃から教会学校に通い、そろそろ受洗の時だから受けてみたら?と言われて、信仰心もよくわからないままに洗礼を受け、その当時は、神様の啓示があって洗礼を受けたという人の話を聞くたびに羨ましいなぁと思っていました。

しかしある日、青年会のリーダーに、この聖句をのべて「もし地獄に行っても、この聖句の通りに神様がいつでも一緒にいてくださるなら、そこは地獄じゃないよね?」と素朴な疑問をぶつけたところ、リーダーは笑いながら「そういう風に思う人は地獄には行かないよ。神様と一緒に天国に行けるよ」と言いました。

これを聞いて、神様はずっとそばにいたのに自覚していなかったこと、そしてこれまで教会に通い少しずつ積み重ねてきたものが信仰心だったのだと、気付くことができました。
(K.N. 40代)


罪を取り除いて下さるイエスさま

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」 

新約聖書 ヨハネによる福音書 1章 29節

 

この聖書の言葉は、私にとって最も支えとなるものです。洗礼者ヨハネはイエス様について、「世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。そして、今、私にとっても、この言葉はイエス様に対する信仰の告白の言葉となっています。私を含めたすべての人間には罪があります。神様の前において正しい人間はひとりもいません。その昔、旧約聖書の時代においては、人々の罪のために小羊がいけにえとしてささげられていました。イエス様は私の罪を取り除く神の小羊です。イエス様が十字架にかかって死んで復活されたのは、私の罪を取り除くためでした。そのようにしてくださったイエス様に感謝します。

(M.T. 80代)