2022年3月27日日曜日

旅人をもてなす

聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章 13節

この箇所、口語訳聖書では「努めて旅人をもてなしなさい」と記されています。

この聖句は私の母校である東京YMCA国際ホテル専門学校のカレッジスピリットです。私は東京YMCA国際ホテル専門学校を卒業しホテルに就職しました。現在はホテルを退職し、母校と別の専門学校で後進の育成をしていますが、この聖句は私の仕事の原点ともいうべきものです。

就職が決まった時に当時の青年会リーダーが私に「あなたがこれから就く仕事はサービス業。サービスには礼拝という意味もある。誇りを持って仕事をしなさい。」というような言葉をかけてくださいました。その言葉が励みとなり、自分の仕事は信仰に基づいたものだと確信を持てるようになりました。

今は専門学校講師としてホテルに関わる仕事をしていますが、「旅人をもてなす」仕事にこれからも関わり続けたいと思っています。

(K.I. 50代)



神の力に支えられて

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。 

旧約聖書 詩篇 23編 1節~3節

教会とは縁のない環境に育ち、四〇代半ばで洗礼を受け礼拝に出るようになった。
初めてこのみ言葉を聞いたとき、涙と鼻水が止まらなく出てきて、顔がグショグショになってしまった。今でも多少その気があり、心を揺さぶられる。

大変だと思う事もあったけれど、疲れている時には休ませて下さり、また元気になって立ち上がる力を与えていただいていることを感謝している。現役の時には終末期を過ごしている人に関わり看取りも大勢させて頂いたが、いつも神様が共にいてくださっていると信じて恐れず向き合う事が出来ました。

聖書の中の言葉には、目では見えない不思議な力があることを実感しています。

(H.K. 70代)


2022年3月20日日曜日

たじろぐな

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け、
わたしの救いの右手であなたを支える。

旧約聖書 イザヤ書 41章10節

今朝もぎょっとすることがあった。早朝の散歩道、道の真ん中に鳩の死骸が横たわっている。このままなら車に轢かれてしまうだろう。どこか土のある所に運んで埋めてやらなければいけない。しかし、都会の繫華街で生息している小動物はどれも肥えている。この鳩も例外ではない。左手は犬のリードでふさがっている。それなりに重い亡骸を持ち上げるのにたじろいでしまう。すると「お手伝いしましょう。」と助け手が現れた。いつもそうだ。ねずみの時もカエルの時も必ず心優しい助け手が現れ、救いの右手が差し出される。日常のささいな場面でさえ、神さまは、たじろぐ私を支えてくださる。ましてや、人生の節目に神さまの助けがなかった時はない。今日も聖書のこの同じ頁にしおりをはさむ。

(E.I. 50代)




皆、キリスト・イエスにおいて一つ

あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙 3章26節~28節

私が留学でアメリカ南部の街に滞在していた年のクリスマス、現地の友人がダウンタウンの教会で開かれるクリスマス礼拝に連れて行ってくれました。礼拝では、集まった多くの人々が一緒に讃美歌を歌っていました。その中には、私が日本の教会で小さい頃から歌ってきた讃美歌もありました。これまで日本語で歌ってきた讃美歌を英語で歌うというのはなんだか不思議な感じもありましたが、それ以上に、自分で希望した留学とはいえ、言葉や文化の違いから疲れていた心に染みるものがありました。この讃美歌を歌いながら、遠く離れた祖国でも、そして世界中の国々で、それぞれの言葉で同じ讃美歌を歌い、一緒にイエス様の生誕をお祝いしていることに思いを馳せるのとともに、現実世界で人々を分断する国籍、人種、言語、文化等々の違いが、神様の前ではいかに小さなことか、今更ながら気付かされました。この聖句が、差別や言語・文化の壁に苦しんでいる方々に届きますように。

(T.T. 30代)




2022年3月13日日曜日

神が最後に示された究極の愛

‥「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。

新約聖書 ルカによる福音書 23章42節〜43節

ゴルゴダの丘の上で、イエスが十字架につけられた時に、右左の十字架には二人の犯罪人がいました。片方の犯罪人が「おまえがメシアならば自分自身を救ってみろ」と罵りました。他方の犯罪人は、「この方は何も悪いことはしていない」とたしなめ、「御国においでになるときにはわたしを思い出してください」と願い、イエスさまから頂いたお言葉がこの聖句です。

私の夫が大学生であった昭和20年代中頃の多くの日本の教会は、活気ある青年達で溢れていました。青年達は続々と洗礼を受けてキリスト者となりました。学生青年会の中心的な働きをしていた夫は当然仲間や牧師から受洗を期待されましたが、ただ独り教会を離れる事を選び、その選択を誇りにさえ思っていた節がありました。

70歳代中頃、宣告された余命を遥かに超えた日々を自宅で静かに過ごしていたイースターの日に、夫は突然に病床洗礼を授かりました。その日の朝、牧師は「行って洗礼を授けよ」との御声を聞き、これは私の夫の事だと確信したとのことです。牧師は祝会後私宅に直行し、ベッド上の夫に、「洗礼を受けませんか」とお尋ねになりました。驚いた私に反し夫は、「お勧めならば喜んで」と即答し、宣誓も明確に行なって涙の洗礼式となりました。そして、丁度その一週間後に、安らかに天に召されていきました。

1年後の記念日、新しく赴任された牧師がお訪ねくださり、お話しくださったのがこの聖書箇所です‥‥。

(S.T. 80代)



支えを得て

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。

旧約聖書 イザヤ書 41章10節

35年ほど前、同僚であった友人が洗礼をうけました。「洗礼を受けて変わったことは?」の質問に彼女は「支えができた。」と。 毎日顔を合わせていても私にはシングルマザーであった彼女の心の孤独や苦しみを理解することが出来ませんでした。

20年後、私も洗礼を受け、主を自分の一部に感じられるようになり、最強の支えと導きを得ることができました。病で苦しむ時、困難がせまる時、孤独に泣く時、至らぬ自分に嫌悪する時、主の救いの手が、ここを掴めと導いてくださいます。

主に支えられ、守られた友人は不治の病からも救われ、今も祈りの友として交わりを続けています。主からのみ言葉に日々感謝です。

(F.T. 70代)

 

 


2022年3月6日日曜日

共にいてくださる神

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。

旧約聖書 イザヤ書 41章10節(新改訳)

私はどちらかというと変化が苦手で、安定を好む人間です。しかし、なぜか度々大きな変化を経験しました。

まず夫の転勤によるシドニー転居。そして帰国後しばらくしてからの香港転居。私は慣れ親しんだ仕事やボランティアを手放すことになりました。不満、不安ばかりの転居でしたが、そんな時に友人が贈ってくれたのが上記の聖書の言葉です。神様は私が予想もしていなかった多くの友との出会いを用意してくださいました。その後夫の闘病、そして夫との死別。そして一昨年には私自身が悪性リンパ腫になり闘病生活を送りましたが、その時に支えてもらったのがこの友人たちです。

今まで私の想像をはるかに越えて良いものへと導いて下さった神様を信頼し、歩んでいきたいと思います。

(H.U. 60代)


 


神の愛につつまれて


わたしの目にはあなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。 

旧約聖書 イザヤ書 43章4節(新改訳)

この聖句はどんなに私を励ましてくれたことでしょう。人は存在の不確かさを持っています。生まれたときにまず出会うのは母親です。母親の存在はその人の一生を左右するほど大きいと言われています。幼少期にしっかりと愛情を受けて育つことが大切です。

私の母は母性的と言うよりは女性的で、私はずっと「愛を乞う人」だったと思います。神様に出会って、神様はいつも私を愛してくださっていると言う確信が持てました。

ドストエフスキーの文章に「たとえ両足がやっと乗るような岩棚の上に立っていても、それでも生きている方が良い」と言う箇所があったと思います。こうして神様に愛され、暖かい日差しや、爽やかな風を感じる時、これ以上の幸せは無いと感じるのです。そして、私を産んでくれた母にも感謝出来るようになりました。

(K.O. 70代)