2022年4月24日日曜日

導きたもう神

光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。

新約聖書 ヨハネによる福音書 12章 36節

今から16年前、未信者であった私は、教会員のCさん宅で、小冊子を使い、キリスト教の学びを受ける事になりました。

Cさん宅に伺ったある日、壁にかかった日めくりカレンダーに目が留まりました。そのカレンダーには、冒頭の聖句が書かれてありました。

この聖句の意味を知りたくなりました。この様な、ちょっとした興味から少しずつですが、神様を知る様になっていきました。そして、神様のお導きで、クリスチャンになりました。

神様は、私が興味を持つ事柄をよくご存じで、あの日、絶妙なタイミングで日めくりカレンダーに現されたと思います。神様のお導きに感謝致します 

(M.T. 60代)



こんな価値観が世の中にあるのか!!

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

新約聖書 マタイによる福音書 5章 3節~ 10節

このような価値観の世界がこの世の中にあるのか!!唯々、驚きとパッと何かから解放され何とも表現できない戦慄に似たものを感じたのがこの聖句だった。1961(昭和36)年8月、当時大学の1年生だった夏休みのことである。

地方の古い檀家・仏教徒の家に育った者にとって、キリスト教には何の縁もなかったが、大学生活に生きがいを見出したい一心で入ったのがキリスト教関係のサークルだった。その夏に、お世話になった方のキリスト教の葬儀の後で書斎からいただいた本が、冒頭の聖句をわかりやすく説いた「山上の垂訓(さんじょうのすいくん)」(由木康著:当時、国立教会牧師)という本であった。

自宅に帰って、もう何も言葉が出ないまま、電流に打たれた感じで一字一句に感動しながらこの本を一気に読んだ。何という価値観なのか、同じこの世にこんな価値観があるなんて。身も心も解き放されて、なんとも不思議な感覚で夏休みを終えたことを今でも鮮明に覚えている。 

(Y.Y. 70代)


2022年4月17日日曜日

沈む心が出会った言葉

その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。

新約聖書 マルコによる福音書 4章 35節

私には目標や目的がわからない時期がありました。仕事や人との関わりに自信を失くしていました。表面的には、人と関わり、時には笑い、変わらずに過ごしていましたが、心のなかでは「何をやってもダメだ。何もかも中途半端な私だ。」と毎日思っていました。「周囲の人たちは人生の中で何かを得ているのに私には何もない。」情けない惨めな自分しかありませんでした。「今まで何をしてきたのだろう。」と、愚かな自分を感じるばかりでした。何処に向かって行けばよいか何をしていけばよいか、すっかりわからなくなっていました。そのような毎日のなかで、「向こう岸に渡ろう」という言葉に出会いました。「渡れ」ではなく、「渡ろう。」

一緒に渡ってくださるその言葉に私は、「主が一緒に居てくださる。安心して歩きだそう。」と思うことができました。今もこの言葉は、私に勇気を与えてくれています。 

(K.O. 50代)


空の鳥を見なさい

空の鳥をよく見なさい。種を蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。

新約聖書 マタイによる福音書 6章 26節

不安や悩みのある時、鳥のさえずりで目が覚めたり、散歩の途中で聞く鳥のさえずり、草花などを見ると、この一つ一つが神様がお造りになられた世界に神様の恵みを思います。「空の鳥をよく見なさい。種を蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか」天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。それよりも価値あるものと大切に思っていてくださるわたしたちを養ってくださらないはずがないと信頼して神様のご愛に不安も悩みも消えて安心できます。神様は共にいてくださいます。感謝して歩んでいきたいと思います。 

(H.O. 50代)


2022年4月10日日曜日

汝らは地の塩なり

汝らは地の塩なり、塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき。

新約聖書 マタイによる福音書 5章 13節

この聖句に私が初めて出会い、清冽な印象と共に心の中に住み着いてしまったのは私が東洋英和女学院の中学部に入学し、入学式の日にこの聖句が長野彌院長先生のお話の中で語られた時のことでした。

丁度中学生になり、学校も、一緒に過ごしたお友達も変わり、初めて電車に乗って通学するようになるなどで、かなりピリッとした気持ちで居たのでしょう。

生徒たちに〝長ポン先生“と呼ばれていた長野先生がこの聖句のお話を語られた時、その場で先生のお話を完全に理解したとは思えませんが、何かハッとしたような、私たち一人一人が生まれて来て、生きて行くということは、それぞれは大海の中の一滴であっても、かけがえのない事なのだ、目の前の事に対処するだけでなく、物事の本質をきちんと捉えて自分の中に取り入れて行かなければならないのだ、というような、一日一日を生きて行くことへの神から与えられた責任のようなものを、薄っすらとではあれ生まれて初めて感じたという鮮烈な印象があります。

長い人生の歩みの中で、いろいろな先達方から、心に残るいろいろな言葉を伺いましたが、あの中学生になった時の、初めて、視点を遠くに合わせて物を考えるきっかけとなった思い出は、いまだに私にとって大切な宝となっています。 

(H.O. 70代)


愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 13章 4節~ 8節

ミッション系の学校を卒業した娘が、結婚式の折に、卒業後も支えとなって下さっていた恩師から贈っていただいた言葉です。「地上の大切な絆、人生の大切な絆、親子の絆、夫婦の絆、そしてもう一つ、お二人に『いのち』の息を与えて下さった創造主との『愛の絆』が存在することを忘れないでください」と添えられていました。

独り娘が、生涯を通して信頼できる師と生涯を共に生きるお相手とに出会えたことを、母親である私は本当に嬉しく思いました。私達を包む『愛の絆』は、優しく温かい私達への励ましだと思います。 

(H.K. 60代)


2022年4月3日日曜日

真理は心を自由にする

わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。

新約聖書 ヨハネによる福音書 8章 31節~ 32節

私の信仰の原点といいますか、聖書の中ではじめて出会った御言葉かもしれません。

まだ若かりし頃、はじめて教会に行ったときのお説教の題が、「真理とは・・・」だったと記憶しています。真理を知りたいと心から思いました。何が真理なのか、そして真理はあなたを自由にするとは?

何十年も生きてきて、迷う時、辛い時、悔しい時、そこにとらわれている自分に与えられた御言葉を聴き、受け入れた時、その思いから解き放たれ、その思いから自由になれる自分を感じる。また、物事が上手くいって有頂天になっている時も思わぬ落とし穴があることに気が付かない時も、御言葉に導かれる。

どちらにしてもみ言葉が体の中にとどまった時に真理がみえてくると、ようやく心から思えるようになった気がします。

そしてその御言葉が、私の心を自由にしてくださると。 

(M.N. 70代)



主は愛する者を鍛錬される

「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れるものを皆、鞭打たれるからである。」

新約聖書 ヘブライ人への手紙 12章 5節~ 7節

私にとってこの聖書の言葉は、つらい時や困難の中にある時に大きな慰めとなる言葉です。困難には意味があり、神様が見守ってくださると信じることにより心が落ち着くことができます。

神様に「助けてください。進むべき方向をお示しください。私がこの困難に立ち向かえるように強くしてください。」と祈り頼ることができます。

人生の中で、困難がやってきたときに、それをどうとらえられるかで、方向は全く違ってしまうと思うと、この聖書の言葉は私たちを教え導いてくれる恵みの言葉だと思います。

(S.O. 60代)