心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
新約聖書 マタイによる福音書 5章 3節~ 10節
このような価値観の世界がこの世の中にあるのか!!唯々、驚きとパッと何かから解放され何とも表現できない戦慄に似たものを感じたのがこの聖句だった。1961(昭和36)年8月、当時大学の1年生だった夏休みのことである。
地方の古い檀家・仏教徒の家に育った者にとって、キリスト教には何の縁もなかったが、大学生活に生きがいを見出したい一心で入ったのがキリスト教関係のサークルだった。その夏に、お世話になった方のキリスト教の葬儀の後で書斎からいただいた本が、冒頭の聖句をわかりやすく説いた「山上の垂訓(さんじょうのすいくん)」(由木康著:当時、国立教会牧師)という本であった。
自宅に帰って、もう何も言葉が出ないまま、電流に打たれた感じで一字一句に感動しながらこの本を一気に読んだ。何という価値観なのか、同じこの世にこんな価値観があるなんて。身も心も解き放されて、なんとも不思議な感覚で夏休みを終えたことを今でも鮮明に覚えている。
(Y.Y. 70代)
