こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。・・・
新約聖書 エフェソの信徒への手紙 1章15節~23節
私は若い頃より“気”を感じやすい質でした。子供の内面を探る、教育公務員の私にとってプラスに性分ではありましたが、職場異動の度に、困る事になります。建物の中での“気”を感じ、怖くなり、ある所では、早朝出勤や残業も怖くて出来なくなる程で、業務に支障をきたす様になりました。(世間では霊感と言うのでしょうが、その言葉は増々怖くなるので使いませんでした。)
そこで、思いきって牧師先生に相談すると、この箇所をその場で読む様にすすめられました。この聖書箇所の説明は、難しくて出来ませんが、全て詰まっている感じです。家だけでなく、その場で祈る大切さを知りました。
現在も“気”は感じます。しかし怖がるのではなく、その場で祈る事により少し怖くなくなり生活出来る様になりました。めまいが生じてしまう葬祭場にも行ける様になりました。
(M.E. 50代)
