キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。
新約聖書 ローマの信徒への手紙 15章 7節
「受容」とは、社会福祉の基本原則である。「受容」、そして「共感」は、学生の頃に叩きこまれ、現場で働き始めて以来、常に意識するよう努めてきた。
十数年前、耳鳴りがひどくなった。耳鼻科では特に異常はなく、安定剤が処方された。服用しても耳鳴りは治らなかった。原因として思い当たることがあった。相談業務で2時間近く利用者の方の話を聴いてから、ひどく疲労を覚えていた。その方にとっては切実な相談であった。私はひたすら傾聴し「受容」に努めた。私の耳鳴りは、どうもその翌日から始まったらしかった。さらに良くないことには、相談を聴くたびに吐き気をもよおすようになった。その時はじめて、私は(もうこれ以上は受容できない)と思った。キリストには出来ても、人間の出来ることではない、と私は思った。
私は自身の限界を知り、無力を知ってからも、傾聴し続け「受容」に努めているが、以前よりも、「謙虚」ということを少しは意識するようになった。そして、どこか相談の質が違ってきた気がすると同時に、気持ちにも余裕が生まれたように思う。いつのまにか、耳鳴りも吐き気もどこかへ消えていた。おそらく、神様は最初からわかっていたのだろう。人間の無力をわかったうえで、あえて「相手を受け入れなさい」と言われたにちがいない。
(H.T. 40代)




