2023年7月30日日曜日

主に委ねて生きることは

主はギデオンに言われた。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったというであろう。」

旧約聖書 士師記 7章 2節~3節

神はミディアン人の大軍を攻め落とすにあたって、ギデオンに対し今いる32、000人の兵を300人まで減らせと命じられました。そうでないと彼らがミディアン人に勝利した時自分の手で救いを勝ち取ったとおごるからだと。ミディアン人の大軍を前に300人となった彼らはもはや神に頼らざるを得ません。

これまで人生のさまざまな場面で、神に助けを求めながら、一方でいつも思い煩いがありました。それはいつも神に助けを求めながら、どこかで自分の力で、人間的な助けを得て解決しようという思いがあったからです。神に完全に委ねて、なすべきことをなしていたら、きっと違った結果が得られていたかもしれません。たまたま上手くいった時はどこかで自分の力だと、心がおごっていたに違いありません。このギデオンのように神に委ねざるを得ない状況まで自分を追い込んだことがあるのか、と自問しています。

この士師記7章の物語を読むと神に委ねて生きることの厳しさと、そこまで委ね切れていないから喜びも得られないのだということを思い知らされています。

(K.O. 80代)


2023年7月23日日曜日

歩みを照らすともしび

あなたの御言葉は、わたしの道の光
わたしの歩みを照らす灯。

旧約聖書 詩編 119編 105節

中学生の時いじめにあっていた暗闇の3年間、この御言葉にであいたかった。光を求めること、すがることは、幼い頃から教会に行っているものの、正直わからなかった。自分の意志ではなく、なんとなく通い、リラックスできていなかった場所だったような…。そんなわたしが高校生で新しい自分と出会えてからは、前向きで、何をしても楽しかった。大人になってから度々くる暗闇では、繰り返しテゼを口ずさみ、大丈夫、大丈夫と自分自身を励ましている。

今は暗闇の中だけではなく、いつだってわたしの歩みを照らす灯となってくれている。

でこぼこ道を通ってきたからこそ、感じることも様々だけど、寄り道をしながら、足を留め、しゃがみこんで、道端の草花や虫を眺めたり、空の雲を眺めたりする日々です。

この箇所のワーシップソングも好き。

難しいことは語れない、でも、御言葉や教会のことを分かち合うことはできて、わたしの周りの人々の歩みも照らしてくれる灯です。ハレルヤ!

(R.N. 40代)


2023年7月16日日曜日

主よ、お話しください

しもべは聞きます。主よ、お話しください。

旧約聖書 サムエル記上 3章 9節(口語訳)

少年サムエルは老祭司エリのもとで主に仕えていました。神の箱が安置された主の神殿に寝ていたサムエルは、夜明け前に「サムエル」と呼びかける声に飛び起き、「ここにいます」と答えて、エリのもとに走って行きました。そして、「お呼びになったので参りました」と言いました。しかし、エリは「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言いました。こんなことが二度くり返されました。

三度目、再び自分を呼ぶ声にサムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言いました。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに、もしまた呼びかけられたら、「しもべは聞きます。主よ、お話しください。」と言うようにと教えます。そして、四度目に主がサムエルを呼ばれた時、サムエルは、この言葉をもって主に応えたのでした。

これは、私が幼い時に初めて覚えた聖書の言葉です。私はこの言葉から、主の呼びかけに従い、主の前に素直に聞く姿勢の大切さを思います。40年以上前に心に入ってきたこの言葉は、今も私の信仰の姿勢を折にふれて正す言葉となっています。

(K.T. 40代)


2023年7月9日日曜日

光あれ!と祈る神さま

神は言われた。 「光あれ。」 こうして、光があった。 神は光を見て、良しとされた。

旧約聖書 創世記 1章 3~4節

の宇宙、世界を造られた、神さまが発した第一声は何か?ご存知ですか?

旧約聖書の創世記には、神さまが天地を創造された様子が、記されています。神さまの第一声は、「光あれ!」でした。地は混沌であって、闇が深淵の面にある中で、「光あれ」と仰って下さいました。闇の中に光を与えてくださいました。

私たちの日々の歩みは、山あり谷あり。一寸先は闇。時として出口が見えず、霧の中。真っ暗闇の出口の見えないトンネルの中で佇み、不安や恐れを感じたり、時には「お先真っ暗!」、絶望的と思える様な出来事に遭遇することもあります。しかし、神さまは、そのようなネガティブに思える様な時も、いつも私たちのことを心に留め、いつも守り支え、私たちの歩みを良い方向へと導いて下さいます。

「光あれ!」と仰る神さまは、私たちにも「光あれ!」と祈って下さっているのです。

神さまが、私たちのため、私のために祈っていて下さるなんて、何と心強い事でしょう!そんな神さまに期待して、これからも歩んで行きたいと思います。

(H.K. 60代)


2023年7月2日日曜日

幼子のような信頼

少女は女主人に言った。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」

旧約聖書 列王記下 5章 3節

この「少女」は捕虜として敵国に連れて来られ、軍司令官ナアマンの妻の召使いとされていました。ナアマンが重い皮膚病を患っていることを知り、女主人にこの言葉を告げるのです。少女の一言によって奇跡が起こりました。ナアマンは預言者エリシャを通して皮膚病が癒され、同時に天地の造り主である神さまを信じる人へと変えられていったのです。

この少女の人生を思い巡らすと、神さまが救いの言葉を託して敵国に遣わした愛する我が子としての姿が思い浮かびました。幼い子どもが「私のお父さんにできないことは何もないわ」と信じて疑わないように、少女は神さまへの全幅の信頼をもってこの一言を告げたのでしょう。少女の幼子のような信頼は、特別な意思表示や際立った出来事に目を向けがちな私の意識を変えてくれました。この少女に倣うなら日常の言葉、日常の出来事はすべて神さまの愛が現わされるための道になり得る。この幼子のような神さまへの信頼を、私も求め続けていきたいと願っています。 

(H.K. 50代)