主のもとに集ってきた異邦人は言うな
主は御自分の民とわたしを区別される、と。
宦官も、言うな
見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。
旧約聖書 イザヤ書 56章 3節
洗礼を受け救われ、有頂天になっていた頃、私の次の課題は「どうしたら神様に喜ばれるクリスチャンになるか」でした。
教会生活の中で出て来る答えは、「良い学校に行き、良い仕事をして、良いクリスチャンホームを作ること」です。しかしそれは、考えれば考える程疑問でした。
本当に神様は、そのような、銀のスプーンを咥えて生まれて来たようなクリスチャンだけを愛されるのだろうか?生まれ付き他の人には無い特徴やハンディがあったり、過酷な生育環境で育って来た人は、「普通」に近付かないと神様に愛されないのだろうか?
聖書はそう言ってはいません。一般的に、旧約聖書の時代にはユダヤ人の男性ばかりが重んじられていたが、イエス様が世に来られて、サマリア人、徴税人、不貞の女など「例外の人々」にも心を留められたと考えられがちですが、そうではありません。
旧約聖書でも、宦官、他宗教の王に仕える側近、遊女など、様々な人々が神様に出会っています。特に、このイザヤ書56章3節以降の御言葉では、神様ははっきり「例外の人々」をも愛することを宣言されています。
私自身、この疑問に答えを求め、HIV/AIDS への理解と支援の活動に飛び込みました。神様は、「例外の人々」が世間で言う「普通」にならなければ愛されないなら、自分の活動もすぐに挫折すると信じました。もう20余年続けています。
私は医療従事者ではありません。だから、LGBTQ、ドラッグユーザー、セックスワーカーなどの人々と「仲間」として共にいる時、あるいは性差別や人種差別に反対する活動の時、“普通の正しさ”を重んじる人々に「徴税人や罪人の仲間だ」と言われたイエス様が「例外の人々」を愛された、その愛を感じています。
(K.O. 60代)
