愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
新約聖書 コリントの信徒への手紙 13章 4~5節
吉永小百合さんのご主人が最近永眠された記事を読み、吉永さんとお会いした日のことに思いを馳せました。2016年1月15日の昼、場所は品川のプリンスホテルのひとつだったと記憶します。
『母と暮らせば』(監督=山田洋次、主演=吉永小百合、二宮和也)の公開に先立ち、舞台となる長崎で吉永さんの原爆詩朗読会が催され、私と仕事上関わりのあった宣教師(キャロル・サック)がハープ伴奏者に選ばれたのです。上記ホテルではリハーサルがありました。私は、日本語の上手なキャロルさんの“通訳”と偽って同行を許されました。
練習後、吉永さんが私たちのテーブルにお茶とお菓子を運んでくださり、少し言葉を交わしました。ご親戚に海外でキリスト教宣教に携わっている方がいらっしゃると吉永さんがおっしゃったとき、とても親しみを覚えたものです。
話の途中に「恨み」という言葉を吉永さんが発し、外国人には難しいと思われたか、”通訳“の私に目を注がれました。咄嗟によい訳が浮かばず、「ウーン」と唸っただけでお茶を濁したのですが、今考えても、「恨み」「恨む」を一語で英語に置き換えるのは難しい気がします。
8年経った今、初心者向けの英語で有名な聖書を開くと、冒頭の「(愛は)恨みを抱かない」は”love does not keep a record of wrongs”となっています。「嫌なことをいつまでも根に持たない」という意味でしょうが、吉永さんがあの日ご使用になった「恨み」には、もっと複雑な意味が込められていたように思います。
嫌なことをいつまでも根に持たない、それを心からできるようにしてくださるのは、私のうちに住むイエスの霊以外にありません。あの時はそのことを吉永小百合さんに伝えるべきでした。また会えるならそうしたいのですが、そんな機会は二度と訪れないでしょう。来年(2025年)3月に傘寿を迎える吉永小百合さんの変わらぬご活躍を期待するしだいです。
(H.M. 70代)