重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
新約聖書 マルコによる福音書 1章 40節
イエス様に願う。絶望の底にいる人が「願い」をもつことができるのか。
願ってもかなえられることはない――願うことすら愚かに思える。そんな境遇に置かれたことが幾度となくあります。
病のせいで汚れているとみなされ、蔑まれ、社会から排除されたところで生きていたこの重い皮膚病の人。人としての尊厳と権利をことごとく奪われていたこの人は、イエス様のところに来て「願った」。わたしが当時の社会で重い皮膚病を患っていたら、この人のように「願う」ことはできない気がします。イエス様と出会えず、「願う」こともできず、地上の生を終えた人々がいたこともまた想像するに難しくありません。
「イエス様」の噂をこの人はどこかで聞いたのだと思います。その「御名」が「望む力」を与えたようにわたしは感じます。希望する力、生きようとする力、交わりを求める力、自分は神に見捨てられていないと信じようとする力。
わたしが日々生きるこの街にも、希望を失っている人がたくさんいると思います。わたしもその中の一人です。
イエス様の御名が、望みをもてないすべての人の耳に届きますように。
そして、イエス様の御名の力を共に知ることができますように。
(Y.S. 30代)
