あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
新約聖書 コリントの信徒への手紙一 1章27節
私たち人間が「キリストの体」って…??若い頃に初めて読んだ時には何かピンときませんでしたが、年を経て、人間関係においてもいろいろな経験を積むうちに、「ああ、こういうことなのかな」というのが少しずつ見えてきた気がします。
直前の12節~26節にあるように、私たちは目鼻口や手足など働きの異なる各部分が集まって一人の体を構成しているのと同様、一人一人それぞれ個性豊かな人間が集まって社会を構成しています。体を構成する部分はそれぞれ大きさも形も働きも異なっていて、どれ一つとして「なくてもよい」部分がないのと同様に、私たち一人一人もまた、見た目はもちろん性格も能力も皆異なっているけれども、誰一人として「いなくてよい」人はいません。しかも体の各部分がそうであるように、それぞれが協調して働かなければ、主の教えを具現化する「体」としての社会が機能しない、ということなのでしょう。そして「体」の一部である私たち一人一人が、キリストによって「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。」(13節)
世界を見渡せば人種や文化や宗教が異なる多様な人たちがおり、また地球全体を見れば数えきれないほど多様な生物がいて、誰にも(どの生物にも)かけがえのない役割や働きがあります。私たちはキリストによって皆一つに結ばれ、それぞれの賜物を生かして与えられた恵みをお返しするため共に働くことによって、神の国が実現するのですね。
今でいう「インクルーシブ」などという概念がおそらくなかった2000年も前に、主の恵みについてこのようにわかりやすく手紙に書いてくれたパウロさんにも心から感謝です。
(N.N. 60代)






