しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
新約聖書 ローマの信徒への手紙 5章 8節
彼らの苦難を常に御自分の苦難とし御前に仕える御使いによって彼らを救い愛と憐れみをもって彼らを贖い昔から常に彼らを負い、彼らを担ってくださった。
旧約聖書 イザヤ書 63章 9節
先日友人から、祈りの時間のためにとキャンドルをプレゼントしてもらいました。
クリスチャンというと、熱心に聖書を読み、祈り、礼拝は欠かさないというような姿を思い浮かべる人もいるかと思います。私はまったくそのようではなく、日々の忙しなさにいつも流されています。しかし、このキャンドルをきっかけに、神様に心を向ける時間をもちました。
ふと「愛を受け取るって、何を思い起こせばいいんだろう」と思いました。私はつい嬉しかったことなどを思い浮かべてしまいますが、それでは良いことがなかったときにはどうしたらいいのでしょう。
思うべきは、イエス・キリストが十字架にかかってくださったことであり、幸福な時も苦悩の時も、神様がともにいてくださっているということなのだと思います。
自身の生活だけでなく、国際情勢をみるにつけ、「神様、なぜ黙っているの」という思いが止まらなくなることがあります。しかし、神様は無関心でおられるのではなく、いつも必ずともにおられるということを改めて思い起こしました。
(30代)
