2021年12月26日日曜日

終戦後、再会した父の祈り

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。 

新約聖書 ヨハネによる福音書 16章33節

 
太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)は、私が台湾の高等女学校に入学した年でした。緒戦の勝利は徐々に逆転、敗色が漂う昭和19年の春、父は仕事で単身、インドネシアに赴任していきました。台湾も連日の爆撃におびえる日が続き、やがて終戦の日を迎えました。蒋介石の軍隊が進駐してきて、50年に及んだ日本の台湾統治も終わり、在留日本人の引揚げが始まりました。私たちも昭和21年3月、許されたわずかな物をリュックに入れ、着ぶくれて帰国しました。やっと辿りついた大分の父の実家で「父がすでに帰国し、東京本社で残務整理をしている」と聞かされ安心し、大喜びしたのを覚えています。

3か月後、父が迎えに来てくれ、上京し社宅に移ったその晩、泥棒が入って、引き揚げ時に持ち帰ったほとんどの衣類をリュックごと持っていってしまいました。
呆然としている私たちに父が示してくれたのが、この聖句でした。「あの戦争で亡くなった人は大勢いる。我が家は皆元気で再会できた。これ以上の感謝はない」と言って、祈ってくれました。

こうして我が家の戦後は0からの出発となりましたが、あの日を昨日のことのように懐かしく思い出しています。

(S.O.  90代)




心の重荷をイエスさまに告げる

この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。 

新約聖書 ヘブライ人への手紙 4章15節~16節

 

イエスさまは、私たちの罪のためにご自身の命を犠牲として献げて、神の御前に立って私たちのために執り成してくださる大祭司です。イエスさまは神の御子であられるのに、弱さを身にまとうひとりの人間として生き、自らは罪がないのに罪人と同じところに立ち、あらゆる点において試練に遭われました。悪い方へと誘う力に満ちたこの世界において、限界のある人間の体をもって生きるということがどれほど大変であるのか。イエスさまはその肉体をもって味わってくださいました。

それゆえ、私たちは自らの弱さと罪に対する悲しみで心がいっぱいになる時も、恐れることなくイエスさまに近づくことができます。イエスさまに心のすべての重荷を告げることは、私の慰めであり、再び歩み出すための力の源なのです。

(K.T.  40代)




2021年12月19日日曜日

本当のキリスト生誕日

言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。 

新約聖書 ヨハネによる福音書 1章14節

 

「キリスト、ベツレヘムに()れたもうこと千たびに及ぶとも、キリスト、()が心に()れたまわずば、()が心は永遠(とこしえ)に失われてあり」。『イエス伝詩集』という小冊子に掲載されていたこの詩が心に残っています。私の心にキリストが生まれてくださったのは12月25日ではなく、6月3日でした。直前まで、自分がクリスチャンになるとは思ってもいませんでした。興味本位で出かけた教会の伝道集会から下宿に帰った直後の回心でした。50年前のこの日から人生が全部変わりました。私にとっての運命のキリスト生誕日です。その夜見上げた夜空を今でも覚えています。

(M.I.  60代)




イエスさまにつながっている喜び

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 

新約聖書 ヨハネによる福音書 15章5節

 

イエスさまがぶどうの木で、私はその枝である。どんなときもずっと私を愛してくださっているイエスさまにつながっているということは、とても安心なことです。そのうえ、イエスさまと共にあるならば、私は豊かな実を結ぶというのです。私には特に目立った才能や特技もありませんが、イエスさまの必要とされる豊かな実が私の人生にも実っていることを思うと、嬉しくなります。私の弱さや足りないところなど、イエスさまは全く問題にされず、「わたしにつながっていればいいのだよ」と声をかけていてくださるのです。このイエスさまに私の全存在を委ねたいと思います。 

(M.T.  80代)



2021年12月12日日曜日

闇を照らす光

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 

新約聖書 ヨハネによる福音書 1章 9節

 

母校のクリスマス礼拝で、イエス誕生の場面が演出されました。この礼拝の最後は、暗い会場の中、ろうそくを持った聖歌隊が讃美歌を歌いながら退場するのです。中学1年生の私は、その光景や讃美歌の美しさに心を奪われました。
「くしき星よ 闇の世に」
讃美歌118番です。4節まである歌詞に、イエスの誕生の場面が全て描かれています。なかなか耳にすることがないのですが、とても美しいメロディーで、心から歌ってみたいと思った讃美歌はこれが初めてかもしれません。

暗闇の中でこそ、光が輝く。クリスマスの時期は色々な場所でイルミネーションが輝きます。私たちの心の中も、神さまという光が照らしてくださっていると信じています。

*頌栄infoの「賛美のページ」に讃美歌118番の音源が掲載されています。よろしければお聴きください。

(R.M.  40代)



神様の目には

わたしの目にあなたは値高く、貴く
わたしはあなたを愛し…
 

旧約聖書 イザヤ書 43章 4節

 

新型コロナウィルスの世界的な大流行により、それまでの自分の生活や周りの環境、夫婦それぞれの家族の状況などが一変しました。 

それまで自分が心の拠り所としてきた大切な場所や人間関係、立場などを一旦全て手放さざるを得なくなり、もう私には何もない、何もできない者なのだと、自分の価値を見失っていたときに、上の聖書の言葉に慰められました。

人間の価値は功績や所有物ではなく、どんな状況でも私のことを高価で尊いと言い、愛して下さる神様のもとにあることを思い起こすことができました。そして無力な自分でも、ただ神様を慕い求めることを、主は何よりも喜んで下さるのだと知った時に、再び一歩ずつ前へ進む力が与えられました。

(M.K.  30代)


2021年12月5日日曜日

神の優しい眼

畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい。 

旧約聖書 レビ記 23章 22節

 

聖書には神が人間に与えた「教え」(律法と訳されています)がたくさん書かれていて、これはその一つです。初めてこの言葉に出会ったとき、神はなんと優しい方だろう、と心を打たれました。
 
収穫作業が終わると、こぼれた穂や刈り残しの穂を集めようと、貧しい人たちが畑に入ってくる。それを、泥棒とみて追い払う人たちもいたのでしょう。しかし神は、落ちた穂はそのままに、それどころか、隅々まで刈り尽くさずに残しておきなさい、と言われます。
 
努力して稼いだ金を、努力しない(ように見える)人に使われたくない。そう思ってしまうのは、古くから変わらない、人間の心情なのかもしれません。でもそれでは、幸せでいられないよ、と神は言っておられるのだと思っています。

(F.K.  50代)



天の国に属する者として

しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。 

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 3章20節

 

クリスマスに向けて準備を始める時期になりました。私にとっては、生まれて初めて、母国であるメキシコ以外で迎えるクリスマスになります。そこで今年は特に、上に記した使徒パウロの言葉を心に留めながらクリスマスまでの期間を過ごしたいと思っています。

私は今年から日本で生活しています。その中で日本に住む外国人、またクリスチャンとして、このパウロの言葉の意味をより深く思い巡らせるようになりました。母国から遠く離れた地に住むメキシコ人として、故郷の家に帰りたい、そして幼なじみや学生時代の友人に会いたいと強く願う気持ちもあります。私のように外国生活を送る者の多くは、このようにいつか母国に帰れる日を待ち望みながら、そのための準備をしているのではないでしょうか。 

イエス・キリストを通して罪を赦され、神の子とされた私たちは、この世ではなく天の国に属する者とされました。そのため私たちクリスチャンはこの世界に生きながらも、天の国に国籍があることを覚え、そこからイエス・キリストが再び来られる日を待ち望みながら歩んでいるのです。私が生まれ故郷のメキシコへ帰る日を待ち焦がれながら自分を整えていくように、この世界では「外国人」である私たちが、いつか本国である天の国に迎えられることに思いを馳せながら、今年もクリスマスを感謝してお祝いしたいと思います。

(C.S.  30代)