2022年12月25日日曜日

いつもほほえみを

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

旧約聖書 イザヤ書 43章 4節(新改訳)

昔、キリスト教が初めて日本に伝えられた頃、「愛」と言う言葉は使われていなかったそうです。その代わりに「ご大切」と言う言葉が使われていました。私たちはすでに神様に価値あるものとして愛されていると言う意味です。人は愛なくしては生きていく事はできません。「愛を乞う人」である私自身この聖句によって励まされ元気に生きて来ることが出来たと思っています。

カトリックのシスターである渡辺和子さんの本「愛を込めて生きる」を読むと「ほほえみ」の大切さが書いてあります。心からの尊敬と愛を持って、相手に微笑みかける時、神様からの愛が伝わり、その人は自信を持って元気に生きていくことが出来るのではないでしょうか。

神様、私たち自身が愛の泉となって、愛を伝えるものとしてください。

(K.O. 70代)











2022年12月18日日曜日

キャロリングの思い出

主の御名を賛美せよ。

旧約聖書 詩篇 148編 5節

私が、以前通っていた千葉の教会で、聖歌隊の奉仕をしていた時のことです。クリスマスイヴに行われる賛美礼拝の後、聖歌隊を中心に有志の方と共に、キャロリングを行うのが、恒例でした。住宅街にある教会でしたので、周辺の学生寮や社宅の前、団地の駐車場等で、ペンライト片手にクリスマスキャロルを賛美して回ります。キャロルを歌っていくうちに、真っ暗な部屋に明かりがひとつまたひとつと灯り、窓が開き住民の方の姿が見えるようになると、指先や足元の寒さを忘れ、一段と賛美に熱が入り、ハーモニーもピークに達します。賛美が終わると、住民の方達の温かい拍手に励まされること一時間、毎年楽しみに待っていて下さる方達との賛美を通しての交わりを今でも懐かしく思い出します。

今年もイエスさまの誕生をお祝いするクリスマスが間もなくやってきます。私たちのために神さまは、イエスさまをこの世に与えて下さったことに感謝して、コロナ渦でありますが、心からイエスさまのお誕生を賛美することを心待ちにしています。

(H.K. 60代)









恐れるな

「見よ、乙女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は「神は我らと共におられる。」という意味である。

新約聖書 マタイによるの福音書 1章 23節

「恐れるな」という言葉は聖書の多くのところに出てきます。クリスマスに関連していえば、マリアが天使に救い主を身ごもると告げられた時、ヨセフが未婚のマリアが身ごもったことを知り思い悩んだ時、羊飼いに救い主の誕生が知らされた時などです。

私たちが思いも及ばない出来事で恐れたり思い悩んだりするとき、聖書は私達に「恐れるな」と語ります。なぜなら「神がわれらと共におられる」いう名の救い主イエスがお生まれになるからだというのです。このクリスマスの出来事はマリアやヨセフや羊飼いだけでなく、私たちにも最初から信仰を持ってしか受け止められない出来事として語られています。

しかし、神はその後の主イエスのご生涯を通し、また十字架と復活の出来事を通して、そのことが事実であることを裏付けられました。

毎年クリスマスの時期にこの記事を読むとき、「恐れるな」なぜなら「神がわれらと共におられる」からというみ言葉の前に大きな慰めと励ましをいただき、新たな歩みへと導かれます。

(K.O. 70代)







2022年12月11日日曜日

私に届いた神の愛

 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

新約聖書 ルカによる福音書 2章11節(新改訳)

私が初めて教会でのクリスマスを過ごしたのは、1950年、中学一年生の時でした。当時、八戸に住んでおり、母と妹たちと雪の降る中を教会へ行ったことは、懐かしい思い出です。戦後の色のない世界に暮らしていた私にとって、外国の教会から届いたクリスマスカードの絵の世界は、とても楽しいものでした。

その後、父の転勤、結婚してからは夫の転勤で教会のない土地に暮らしましたが、娘が小学校に上がる頃に、私は再び教会に通えるようになりました。そして、犬養道子著『旧約聖書物語』と『新約聖書物語』を読みました。神がひとり子を賜るほどにこの世を、そしてこの私を愛してくださったこと、その神の愛が圧倒的に心に迫ってきました。

そして迎えたクリスマス、娘が散らかしていた聖句カードを見た時、今まで知っていた聖句でしたが、本当にその通りであったとハッとさせられ、感謝いたしました。。

(M.T. 80代)





2022年12月4日日曜日

新しい希望

 見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。

旧約聖書 エレミヤ書 23章 5節

神さまは私たちに新しい希望を与えてくださいました。それは、逆転した新しい希望でした。ユダの王たちへの審判の言葉。その結びに記されていた、ダビデの王座につく者はもはやいないという言葉。しかし、その日、若枝が起こるのです。切り株から新しい芽が芽吹くのです。

その日とは、イエス・キリストがお生まれになった日のことです。神の御子なるキリストは王として正義と恵みをもってこの地を治めるために来られました。それゆえ、クリスマスは私にとって大きな慰めです。希望をもって生きることのできる根拠です。この世界には悲しいことや心を痛めることがあまりにも多いです。しかし、この世界は神さまから見捨てられた世界ではありません。神の御子キリストが来られた世界なのです。

キリストはやがて再びこの世界に来られます。その日を待ち望みつつ、今、私たちは安心して王なるキリストの支配に身をゆだね、希望と慰めの中に憩うことができるのです。

(K.T. 40代)