2024年7月28日日曜日

12弟子のユダでさえ

しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。

新約聖書 ルカによる福音書 22章 3節

イエスの弟子のひとりとして選ばれたユダの中にサタンが入った、という衝撃的なことが記されています。12弟子という主イエスに最も近くにいた者さえ、サタンの誘惑に落ちています。歴史的にユダは裏切り者の代名詞のように言われていますから、そのような先入観で何の抵抗もなくこのところを読んでしまいますが、冷静に考えるとこれは驚くべきことではないでしょうか。

主イエスに彼ほど近くにいなく、むしろ遠くにいる自分などはもっとサタンが攻略しやすいところに置かれていることに改めて気づかされ、身も心も引き締まる思いをしています。このことをいつも心にとめていなくてはならない、と日々思わされています。

(K.O. 80代)


2024年7月21日日曜日

恵みと慈しみに包まれた生涯

命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。

旧約聖書 詩編 23編 6節

私の母はクリスチャンで、主と共に歩み、85歳でその生涯を終えました。母の人生、特に晩年の姿を思うたびに、私は聖書のこの言葉を思い起こします。いつも穏やかで、神さまに信頼して歩んでいた母は、どんな時も、私の心の支えとなってくれる存在でした。つらいことや苦しいことがあっても、神さまに委ねて前向きに生きている母を見ていると、私の心も安らぎました。神さまの恵みと慈しみの中に、私も憩うことができました。

やがて時が移ろい、老いや病を経験するようになっても、信仰によって恵みのうちに生きる母の姿は変わりませんでした。晩年の母は車椅子の生活となりました。不自由なことも増えました。最期の病においては痛みと闘いました。けれども、母は不平やつぶやきに陥ることはなく、日々の歩みの中に与えられている主の恵みと慈しみを感謝していました。そして、母は、これ以上ないくらい平安のうちに、神さまの御許へと召されていきました。このように母の生涯を恵みと慈しみで包んでくださり、天国へと迎え入れてくださった神さまは、なんとも優しいお方だと思います。

(K.T. 40代)






















2024年7月14日日曜日

私を強くする力

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 4章 13節

数年前、定年にあたって私は後事を信頼する女性の後輩に任せて管理職を退き、定年後再雇用職員となりました。後輩は才能豊かなやり手であり、それゆえにとんがっているところがあって仕事に厳しい人でした。それが災いしたのでしょう、1年後、部局の責任者がこれみよがしのパワハラを始めました。私が現場に居合わせた時はその都度、違法性を指摘してパワハラ行為を止めました。ところが、時間が経つとまた繰り返すという確信犯で、他の管理職も見てみぬふりでした。思いあまった私は仕事で知り合った弁護士に相談。違法性がはっきりしていると確信して後輩と共に組合に告発しました。

当時の私は最末端の職員です。上に逆らってその後どうなるかわかりません。しかし、元部下の苦衷を見過ごすことはできませんでした。そんな決断を支えたのはこの聖句にあるように、私を支えてくださる神さまがおられると信じていたからです。

幸い私と後輩の告発は組織の最高責任者の耳に届き、彼の英断でパワハラ上司は処分されました。かろうじて組織の健全性が保たれた事件でした。

(M.I. 60代)



2024年7月7日日曜日

苦しい時ほど

悩みは笑いにまさる。顔が曇るにつれて心は安らぐ。

旧約聖書 コヘレトの言葉 7章 3節

この箇所を読むと、「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」(ローマの信徒への手紙 5章3-4節)を思い出す。わたしたちの精神が常に穏やかで、悩みもなくて、その生活が常に笑いに満ちたものであったら、この世界はどんな風になっていたのだろうか。ちょっと想像がつかない。

わたしたち人間のこころには常に両極的な働きがある。善があれば対極に悪があって、愛があれば対極に感情に麻痺して無感情になってしまうかもしれない。そう考えると、感情、思考、感覚、直観の振れ幅が人間のこころを形作っているのかもしれない。

わたし自身は悩み苦しみのなかで神様に出会った。神様は、わたしたち人間のこころが相対的、両無関心があって、幸せがあれば対極に不幸がある。もし、わたしたちが常に笑いの中にあったら、喜びという極的であるのとは違って絶対的な存在で、全てを知っている方である。

それからは、苦しい時ほど全てを神様にお任せして、こころを楽にして生きられるようになった気がする。

ちょっと逆説的に感じる聖句だが、(悩み、苦難をこれからもいっぱい経験していけたらなあ)と思ってしまうのは私だけだろうか。

(Y.T. 50代)