2024年10月6日日曜日

より清く

もし、私達が自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、全ての悪から私達をきよめて下さいます。

新約聖書 ヨハネの手紙一 1章 9節

前の1:8に「もし、罪はないと言うなら、私達は自分を欺いており、真理は私達のうちにありません。」と書いてありますが、実際悪い事はしてないし、それなりに正しく生きているなぁ、と思っていました。でも実はまだ罪がある事に気がつきました。それは心の中にあるもので、ずっとずっと昔の事なのに、未だに親に対して憎しみが残っていたり、怒りが込み上げたり悪口を思ったり、嫉妬したり、他者に対してもありました。

つまり、きっと生き続ける限り、悪い話を聞けば怒りが込み上げたりするもので、一生罪がないって事はないと思ったのです。

毎日お風呂で体を洗うように、キリストの贖いは必要なのでしょう。「私は今日は外に出ていないし、汗をかいてないから綺麗なの」と1ヶ月、体を洗わなかったら、いくら外に出歩かなくてもさすがに臭いがするのでは?と思います。

私達には贖いという神の恵み、神のシャワーを浴びる特権があるので、むしろ欲張って綺麗にしてもらおうではありませんか。

神の前に立った時に、汚くて恥ずかくて立てないなんて嫌ですよね。いつも綺麗にしてもらって、堂々と立てる自分でいたい。

私達の心を洗い清める事が出来るのは、神様しか出来ないので、もう全部、心の全てを裸のように神の前にさらけ出す、私達ができるのはそれだけだし、それで充分なのです。

(Y.S. 40代)