2025年1月26日日曜日

倒れないように支えてくださる方

あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びを持って栄光の御前に立たせることの出来る方に、すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。

新約聖書 ユダの手紙 24-25節(新改訳聖書)

私の長女は7歳の時に てんかんの発作が始まりました。けいれんがなく突然床に倒れるだけだったので、最初はそうだと気づきませんでした。何かにつまずいたか、バランスをくずしたぐらいに思っていたのです。でも、日を追うごとに転ぶ回数が増え、主人は医者に見せたほうがいいと言いました。

病院の先生は脳波を見て、てんかん発作だとおっしゃいました。薬を処方していただき数か月間は発作がなかったのですが、その後また発作を繰り返すようになり、薬を変えてもそれは収まりませんでした。

毎日何度も床に頭から落ちるので顎が傷つき、両目にも打撲による黒いあざができました。娘と外出するとき、私は彼女の腕をしっかり握るようにしていたのですが、発作の衝撃は強く、突然電池が切れたように彼女の体は私の手から離れ、地面に体を打ちつけていました。そんな日々の中で浮かんだのが上に掲げた聖書の言葉です。

この聖句から新しい意味をいただきました。私たちも娘と同じだということです。どんなに努力しても、自分で自分をコントロールできないのです。気がついたら人を傷つける言葉を発していたり、自分かわいさに噓をついたりします。自分の都合と安寧を大切にするあまり、周囲の人々への気配りも忘れがちです。

上の聖書の言葉は、私たちが毎日神さまの言葉に耳を傾け、助けてくださいと求めるなら、神さまは私たちが物事につまずかないようにしてくださる、と約束しています。この真理に目覚めた瞬間、私は大きな慰めを得たのでした。

 (C.M. 60代)

*1988年生まれの娘は今、関東圏にある医療センター内の療育施設で暮らしています。



2025年1月19日日曜日

それでも神は赦し守って下さる

カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。

旧約聖書 創世記 4章 16節

アダムとエバは神の言葉を守らず善悪の知識の木から取って食べ、アダムは「女が、木から取って与えた」と女(エバ)は「蛇がだました」と神に答えた。

善悪の知識は責任転嫁を人にもたらし、アダムとエバは汗を流してパン(食べ物)を得ねばならないエデンの東の地に移された。

アダムとエバの子、兄カインは弟アベルを嫉妬し殺した。主はアベルとその献げ物に目を留め、カインとその献げ物には目を留められなかったからである。

汗を流して食べ物を得ることは自己承認欲と欲が充たされず嫉妬することを人にもたらした。カインは汗を流して耕しても作物を産み出すことはない地に移され、さまよい、さすらう者とされた。カインが「さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺す」と言うと、神は「だれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられ」、カインは「エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ」。

古今東西、人はみな、アダムとエバそしてカインの末裔、責任転嫁もする、自己承認欲もあって、嫉妬もする。それでも神は、汗を流して耕しても実りのない地にある私達を、赦し、守って下さる。

責任転嫁をせず、何事も誰かに認められるために行わず、妬むこともしない、どれも難しい。が、少しでも出来たら、出来た分だけ気楽になれる。

(T.M. 60代)


2025年1月12日日曜日

人生の締めくくりの言葉

いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。

旧約聖書 詩編 32編 1節

人は、どんな言葉で、人生を締めくくるでしょうか。  

夫の父は、子どもがキリスト者になっても全く反対せず、認めていました。しかし、自分が信仰に入る事は、長くありませんでした。 

ところがある日、「自分達も洗礼を受けようと思う。」と、電話で決心を伝えてきました。両親共に60代で受洗し、教会に繋がり、母は教会を通って帰天しました。その後、我々は遠く離れていましたからサポート出来ず、父は自己管理を徹底し独居生活をしていました。

その父の最期の頃、手伝いに行くと、食前の感謝で、「神さま、私がこんなに幸いなのは、全てあなたからの恵みです。恵みです、恵みです・・・」と繰り返し、涙が溢れて絶句し、アーメン!と祈りました。 

87歳までの人生が駆け巡ったのでしょうか。広島の原爆の日に、人のミスで爆心地に行けず奇跡的に原爆に遭わなかった事。子供2人を幼い内に亡くした事、病や生活の労苦にも神の慰め支えがあり、全てが神さまの守り導きの内であったと感謝と賛美になったのでしょう。

「いかに幸いなことでしょう」、私も感謝し賛美したいと願います。

(M.I. 80代)



2025年1月5日日曜日

絶えることのない主の慈しみ

主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。

旧約聖書 哀歌 3章22~23節

人生の中で八方ふさがりと感じることがあります。努力すれども、事態は何ら改善せず、何を話しても周囲からまともに相手にされず、まさに完全孤独な日々。「こんな自分など誰も理解してくれない」。。。そう思っても仕方がないとき、それでもなお、「あなたはあなたのままでいいよ。」と、慈しみを、そして憐れみを私に注いでくださる存在があります。私の苦しむ姿・悩む姿をずっと見ていてくださり、心にかけてくださる存在があります。そう、八方ふさがっても、なお、天から手を伸ばして助けてくださる存在があるのです。だから、私は、たとえ昨日は世に打ち倒されても、立ち上がり今朝も新たな一歩を踏み出します。絶えることのない主の慈しみと尽きることのない主の憐れみを全身に受け止めて。

(R.K. 40代)