2025年11月15日土曜日

神様が与えてくださること

しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 5章8

暑い夏が過ぎ、やっと秋になりました。秋というと、幼少期から文化や趣味に関することに集中していたことを思い起こします。最近は、「推し活」が流行り、季節を問わずに個人が好きなことに集中できることは、良いことだと私は捉えています。私の「推し活」は、もう数十年前からになります。ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」です。この本や・ミュージカルが持つ精神性は、「赦し」と「愛」がテーマになっています。主人公ジャン・バルジャンは、パンを盗んだ罪で19年の厳しい刑に服し、世の憎しみに満ちた状態で仮釈放されます。そんな彼を、司教は温かく受け入れます。しかし、バルジャンは司教の銀の食器を盗んで逃走し捕まります。この時、司教はバルジャンをかばい、銀の食器だけでなく、銀の燭台まで彼に与えました。この司教の行為は、神様の恵みであると受け止めています。

聖書では、私たちが罪人であるにもかかわらず、一方的な神様の愛と赦しによって救われると教えられています。バルジャンは、この司教の無条件の愛と赦しによって、「古い自分」を捨て、「新しい自分」として生きる決意をしました。まさにイエス様によって新しく創ってくださる私たち人間の姿を映していると思います。この場面は、何度みても感動の涙なしに見ることはできません。(レ・ミゼラブルの話を書き出すと止まらないのでこのあたりで止めておきます。詳しい方がいたらぜひ、共有させて頂きたいです。)

「レ・ミゼラブル」は、日本語訳では「あわれな」「みじめな」という解釈ですが、悲劇だけのお話ではないと思っています。私たち一人ひとりが神様の前に弱く罪深い存在であること、しかしそれでもなお、神様の愛と赦しによって新しく生きる望みを与えられていることを教えてくれる、希望の物語であると私は信じています。

(E.O. 40代)