ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方にくれても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ばされない。
新約聖書 コリントの信徒への手紙二 4章 7節~9節
いくつになっても、試験のときは、緊張します。私は、数年前、施設認定要件に必要な新規資格取得のため、数年の研修、実務経験を積み、書類審査に合格しました。いくつかの行程を経て、最終試験は、筆記試験、面接試験でした。面接試験(東京)は、受験者の帰路を優先され、遠方から始まり、私は最終組になりました。面接後、泣きながら帰る受験者もいると聞く中、面接試験までの数時間、ひたすら待ちました。
私は、最後のひとりになりました。しかし、焦っても仕方ないので、ラジオ体操みたいなストレッチをしていた時、このみことばが浮かび、私を勇気づけてくれました。
私は、私の行いや努力でいま、ここにいるわけではない。すべては、神様のお恵みによるものであったこと。これまでも神様がお導きくださったのだから、これからの行く道も、神様がお導きくださること。これからの道も、どうか神様が良しとされる道を導き、用いて下さいとお祈りしました。
これまでも神様がともにいてくださり、この瞬間も、これからも、神様がともにいてくださると改めて思えたとき、神様の大きな御手のなかにおゆだねできる喜びを感じました。
私は、とっても口下手ですが、(ラジオ体操と?)みことばに支えられて、意外にハキハキと面接試験を終えることができました。
神様が導いて下さり、与えて下さったいまの役割を、神様が良しとされるその時まで、果たして行きたいと思っています。
清弘先生が、以前、お話下さいました。「人生は、神様の宝物探しですね。みことばを求めて歩んでいきましょう。」と。日々の生活のなかに、聖書のみことばのなかに、神様の宝物がたくさんあります。私のような器でも、用いてくださることを感謝し、楽しみながら宝物探しをしていきたいと思います。
(E.O. 40代)
