2026年9月26日土曜日

神さまからの預かりもの

神は、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言われた。

新約聖書 ルカによる福音書 12章 20節

この聖句は、8月31日の聖書日課で示された言葉です。

イエス様は譬えを話されました。
「愚かな者よ」と言われている金持ちは、真面目に働いていた結果、その年は豊作に恵まれました。その豊作で得たものは、「私(自分)の物」と考えました。分かち合うことはせず、蓄えておく倉を建て、これから先、生きていくだけの蓄えも出来たと満足していました。このような考え方は、ごく普通に思えます。

ところが神は、「今夜、おまえの命は取り上げられる」と言います。
人は、自分の命が思い通りになるものでないことを知っています。明日のことすら分からないのです。私たちの命は、神様から与えられいます。また、私たちに与えられたものは、すべて神様からの預かり物に過ぎません。この「愚かな者よ」と言われた金持ちは、「私のもの」だと抱え込んでしまいました。

私たちを愛し、導いて下さっている神様は、私たちに必要なものを必要な時に与え、一日一日を生かして下さっています。その神様に信頼し、愚かな者でなく、賢い者となって生きるとは、神様から与えられているものを、自分だけのものとせず、喜んで他者に分け与えるように、持っているものを必要としている人のために用いていくことです。なかなか実践していくことは難しいですが、少しでも神様に喜んで頂ける様に祈りつつ歩んでいきたいと思います。

(H.K. 60代)


2026年9月20日日曜日

弱い人に

弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。
すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一  9章 22節

年齢を重ねてくると、何かと弱くなったと感じます。体力が無くなり、視力が弱くなり、聴力が弱くなり、歯が無くなり、いずれは歩くことすら困難になる時が来るのだと思うのです。

子供の頃や若い頃には、当たり前の健康であり、当たり前の力強さでした。

シニアと呼ばれるようになったある日、文字が読み辛くなったり、ちょっとした段差に躓いて転んだりして気付くのだと思いますが。

どんな人でも年を取ることは避けられません。年を取れば皆弱くなります。弱い人と同じ心を持ち、寄り添える人でありたいと思います。やがて自分にもその順番が回って来るのですから。

(H.K. 70代)





2026年9月12日土曜日

子供のように?

心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。

新約聖書 マタイによる福音書  18章 3節

独身時代の私は子どもが苦手で、聖書の「子どものようにならなければ天の国に入れない」という御言葉を、素直に心から受け入れることができませんでした。    

しかし結婚後、親戚も友人もいない土地で、初めての子育てが始まりました。必死に育児日記をつけ探究の日々でしたが、ある時、娘の姿を通して神様のメッセージの意味をやっと理解させていただきました。 

ある日、私は娘の行動を叱りました。叱った側の私は、数時間経ってもまだ心の中で怒りを根に持っていました。ところが娘は、まるで何事もなかったかのような満面の笑顔で、「ママー!」と私に抱きついてきたのです。大好きなママに叱られて一番辛かったはずの娘が、親の私のわだかまりをも溶かすように、ただ無条件で飛び込んでくるのです。

そしてまた、いつも娘は「ママー!」と私を求めて来てくれるのです。 「子どものようになる」とは、過去に囚われず、相手をありのままに信頼して受け入れることなのだと、娘の姿を通して教えらた気持ちでした。 自分の小ささを知ると同時に、神様が私たちをありのままに愛し、いつでも両手を広げて待っていてくださる恵みの深さを、子育てを通して学ぶことができました。 

(60代)



2026年9月5日土曜日

メンタルの保ち方

愛は寛容であり愛は親切です。(新改訳聖書)
愛は忍耐強い。愛は情け深い。(新共同訳聖書)

新約聖書 コリントの信徒への手紙一  13章 4節

私は保育士として15年、幼稚園教諭として15年、今は学童クラブで放課後支援員として働いています。思い返して大変だったなと思う事は、保護者対応です。

過保護な保護者、我が子の言葉を鵜呑みにする保護者、外国人の保護者、自分中心な保護者です。理不尽な言葉を浴びせられた時は、それもお給料の内だと自分を奮い立たせて働いています。

最近も怒鳴り込みの苦情を受けました。

気持ちが高ぶっている保護者に対してへりくだることなく、寛容を心掛け、親切心を思い出し、規則の説明をしました。そんな時にこのタイトルの言葉は私の軸となります。

保護者対応する私の姿に、帰りがけ後輩職員は「怖くて私なら出勤出来なくなります。」と、言われました。

勿論、私も動悸はしますがメンタルを崩さずにいられるのは、教会で牧師の説教を聞き、なるほどと思ったり、ぼーっとしたり気持ちをリセットできるからです。