2026年9月12日土曜日

子供のように?

心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。

新約聖書 マタイによる福音書  18章 3節

独身時代の私は子どもが苦手で、聖書の「子どものようにならなければ天の国に入れない」という御言葉を、素直に心から受け入れることができませんでした。    

しかし結婚後、親戚も友人もいない土地で、初めての子育てが始まりました。必死に育児日記をつけ探究の日々でしたが、ある時、娘の姿を通して神様のメッセージの意味をやっと理解させていただきました。 

ある日、私は娘の行動を叱りました。叱った側の私は、数時間経ってもまだ心の中で怒りを根に持っていました。ところが娘は、まるで何事もなかったかのような満面の笑顔で、「ママー!」と私に抱きついてきたのです。大好きなママに叱られて一番辛かったはずの娘が、親の私のわだかまりをも溶かすように、ただ無条件で飛び込んでくるのです。

そしてまた、いつも娘は「ママー!」と私を求めて来てくれるのです。 「子どものようになる」とは、過去に囚われず、相手をありのままに信頼して受け入れることなのだと、娘の姿を通して教えらた気持ちでした。 自分の小ささを知ると同時に、神様が私たちをありのままに愛し、いつでも両手を広げて待っていてくださる恵みの深さを、子育てを通して学ぶことができました。 

(60代)



2026年9月5日土曜日

メンタルの保ち方

愛は寛容であり愛は親切です。(新改訳聖書)
愛は忍耐強い。愛は情け深い。(新共同訳聖書)

新約聖書 コリントの信徒への手紙一  13章 4節

私は保育士として15年、幼稚園教諭として15年、今は学童クラブで放課後支援員として働いています。思い返して大変だったなと思う事は、保護者対応です。

過保護な保護者、我が子の言葉を鵜呑みにする保護者、外国人の保護者、自分中心な保護者です。理不尽な言葉を浴びせられた時は、それもお給料の内だと自分を奮い立たせて働いています。

最近も怒鳴り込みの苦情を受けました。

気持ちが高ぶっている保護者に対してへりくだることなく、寛容を心掛け、親切心を思い出し、規則の説明をしました。そんな時にこのタイトルの言葉は私の軸となります。

保護者対応する私の姿に、帰りがけ後輩職員は「怖くて私なら出勤出来なくなります。」と、言われました。

勿論、私も動悸はしますがメンタルを崩さずにいられるのは、教会で牧師の説教を聞き、なるほどと思ったり、ぼーっとしたり気持ちをリセットできるからです。