人は心に自分の道を考え計る。しかし、その歩みを導くのは主である。
旧約聖書 箴言 16章 9節(聖書協会口語訳)
私の受洗は、1966年のクリスマスでした。お祝いに叔母(母の妹)が、この聖句を裏表紙に書いて聖書を送ってくれました。
叔母は、戦後の混乱の中で結婚をして、男児誕生後、間もなく夫婦で結核療養を余儀なくされ、生まれた子供は、私たちの兄弟として育ちました。2歳になったばかりで父親が亡くなり、母親と暮らしたのは半年足らずで、17歳という短い命でした。
独りになってしまった叔母は、カリエスとリュウマチにも苦しみ、耳が聞こえなくなっていましたが、療養生活10年目のクリスマスのこと、病室の窓から讃美歌が聞こえてきたのです。感染を恐れて見舞いに訪れる者少ない日々を、信仰によって支えられ、祈りつつ、体調が良い時には手芸や短歌を楽しみ、沢山の本を読む時間も与えられた、50年以上に及ぶ療養生活でした。
私が生まれる前から傍にいてくれた叔母です。「いつも祈っているからね。」と励ましてくれました。私の受洗からの長い年月は、順調な信仰生活を続けられたとは言えませんが、振り返ればいつも必要な試練を与えられ、道は見えなくても導かれていることを思います。
(K.S. 80代)
