自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
新約聖書 コリントの信徒への手紙一 15章 44節
何十年も前の話です。高校生の時、学校帰りに知り合いの家に寄り、三才の坊やと遊びました。赤ちゃんが生まれて、お母さんが忙しかったからです。ある日、電話をすると、「もう来なくていいのよ、車にはねられ死んじゃったの」と…。駆けつけると、坊やはそこに寝かされていました。触れた時、衝撃が全身を打ちました。深い闇のような冷たさ…。
冷たさは指先に記憶され煩雑に思い出され、その度に切なさと恐怖を覚えました。死に対してか、幼い命を思ってか、忘れたいのか、自分の気持ちをどう扱えばよいのか、わかりませんでした。
学生時代、休んでいた教会に導かれるように、又通うようになりました。聖書の御言葉を求める思いも強くなりました。霊の復活、私たちの命は朽ちるのではない…この箇所は光でした。そして受洗…忘れようとしてではないけれど、氷が溶けていくように思いました。
(M.Y 70代)
