2022年6月12日日曜日

私は主のしもべである

今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。

新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙 1章 10節

「私はキリストのしもべである」
 こう高らかに宣言する人たちを多く見てきた。そしてその度に劣等感と自己憐憫に悩まされてきた。小心者の私には、人に取り入らなければやっていけない部分が尚色濃くあるからだ。じゃあ私は逆立ちしたってキリストのしもべになどなれないではないか。終末の希望とは?信仰生活とは?
「ちょっと待ちなさい。自力でそうなろうとしていないか?」
え?
「信仰は私の十字架と復活で繋がれるものだろう?行いで誇らないためにそうしたって言ってるのに」
あぁ。
「さ、立ち返りなさい。私に繋がっていなさい」
はーい、そうしまーす。
日々、これの繰り返し。

(R.I. 30代)