主御自身が建ててくださるのでなければ
家を建てる人の労苦はむなしい。
旧約聖書 詩編 127編 1節
30歳で受洗し、救われた喜びに有頂天になっていた頃、次の課題は「如何に主に全てを捧げて生きられるか」だった。この御言葉から、「主に建てられた」生き方って何だろう?とずっと考えていた。金と欲しか価値が存在しない仕事をして生活を続けるのは、虚しさしか感じなくなっていた。
そこで、今から考えると、大バカと言うか無謀と言うか、とにかく「主の召命を待つ」、その生活に入った。フリーターを続け、後はひたすら聖書を読み、祈る。貯金はほとんどゼロ、風呂もエアコンも無いアパート生活、不安は全く無かった。
しかし神様は、そこまで無謀そのものの、両手を上げて崖から飛び降りるような困った我が子を見捨てたりはされなかった。あれから30年余り、キリスト教団体の会員誌編集と、HIV/AIDSの電話相談、2つの仕事をこなし、日々、人の弱さと向き合う生活をしている。また、アーティストとしても経験を積んで来た。
何より、「主が建てられた」、「自分のものは何も残していない」、「今の人生は私のものではなく全て主のもの」、確かにそう言える喜びは何ものにも変え難い。
(K.O. 60代)
