見わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
新約聖書 コリントの信徒への手紙二 4章 18節
教会に通い始めた時、教会の階段は急に感じられた。一歩登るごと自分自身に訝りつつ「見えないもの」を見たいとも願っていた。
信仰はバンジージャンプに似ていた。期待と怖さの中、飛んだ。否、飛ばされた。景色が反転し、常識を上下に揺さぶられるうち、ポケットに仕舞ってあった何かが落下していくよう感じた。
背中を押した力が体や心を握ってくれている。安心感の中、今も私は「見えないもの」に目を注ぐため教会の階段を登っている。今もポケットが軽くなったと感じる瞬間がある。その度少し見い出すことがある。明日にはまた何か見せていただけるかもしれぬ。そう思うと新しい日も悪くないように感じる。
ブログを読むあなたといつか共に祈る時が来るように祈っている。今通信のため繋ぐWi-Fiが視覚化できないよう祈りも見えないが、お祈りは容量制限なし、高速通信、時間無制限。確実に繋がること。それは階段を登り続け見えてきたことの一つである。
(K.M. 50代)
