あなたがたも聞いている通り、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
新約聖書 マタイによる福音書 5章43~44節
私は、学生の時、この聖書の箇所に初めて出会い、とても驚きました。こんなことが本当にできるのかと思いました。大人になり何十年も経ちましたが、私はほとんど変わっておらず、やはり、どのようなシチュエーションでも苦手な人がいる、嫌な感情が出てしまう、という現実は何も変わりません。そんな弱い私です。ただ、最近ほんの少しだけ気づいたことがあります。
「隣人を愛する」、当たり前に過ごしている毎日の中に、相手を少しでも思いやる気持ちをもつことが、神様が私たちひとりひとりを愛して下さっていることへの「応答」が大事なのではないかということです。
また、苦手な人が自分にどのような態度を取ろうとも、神様が御創りになった大切な存在として見ること、これは私たちの力だけでは決してできないことであり、神様からの「恵み」によって初めてできるようになるのだということです。神様にお祈りはしても、私だけでどうにかしようと思っていたことが大きな間違いでした。
相手のために祈り、その思いを神様に明け渡し、憎しみを手放し、祈りを通して、私たちは自分だけの視点から離れ、神様の大きな視点から状況を見つめ直すことができるのだと思います。相手のために祈ることは、すぐに赦しに繋がらなくても、赦しへと向かう大事な第一歩だと思います。神様はその祈りを聞き、弱い私たちに良い道を与えてくださると信じています。
(E.O. 40代)
