2026年10月17日土曜日

振り返ることのできる日まで

バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。

旧約聖書 詩編 137編 1節

バビロン捕囚を体験した人々の心情を歌う詩編137が今日の聖書日課でした。

「流れのほとりに座り」という言葉から、穏やかな川の岸辺を思い浮かべました。しかし、その流れのほとりに座る人々の心は、深い絶望の中にあったのです。

私は大きな喪失感を抱え、ごく当たり前と思える日常生活を送ることが難しい時期がありました。当時は、清々しい青空や四季の美しさを目にすると、かえって自分だけがこの世界から切り離されたところにいるような、自分がどこにいるのかもわからない―そんな感覚がありました。

今日この詩編を読み、当時の感覚がふとよみがえってきました。同時に、この詩編は「(あのとき)わたしたちは泣いた」と過去を振り返る祈りであることに気づきました。この詩編の作者は、絶望と失意の底に座り込むしかなかったときの涙を覚えているけれども、今は(あのとき)から距離をおき、語ることのできる日にいるのです。

そう気づいたとき、私も“あのとき”を振り返ることのできる日にいることに気づきました。私が自分の形を自分で保てない日々も、私が気づかないところで、神さまが私を保ち、支え、今日まで運んでくださったのだ、と。

静かに振り返ることのできる日もあれば、(あのとき)と距離が縮まり、まだまだ癒えていない痛みが疼く日もあります。だからこそ、過去の涙を静かに振り返る祈りと、今なお続く嘆きの祈りとが複雑に重なり合う詩編137の御言葉に、やさしい希望を感じました。

どんな日も、どんな祈りも私のありのままの思いを受け止めてくださる神さまが今日も私を導いてくださっていることを思います。

(30代)


2026年10月10日土曜日

十人のうち九人が神様への感謝を忘れている

そこでイエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。他の九人はどこにいるのか。この外国人のほかに神を賛美するために戻ってきた者はいないのか。」それからイエスはその人に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

新約聖書 ルカによる福音書 17章 17~19節

イエス様はエルサレムに上る途中で、遠くから叫ぶ十人の重い皮膚病を患う人たちの求めに応じ癒して清くされましたが、戻って来てひれ伏し感謝を示したのは一人だけでした。その時のイエス様の言葉です。

その個所を読んだときに私が思ったことは「私はイエス様への感謝を忘れている九人の一人ではないか。」ということです。思い起こせば感謝しかない奇跡の連続で今ここに生かされているのに、いつも心は感謝を忘れ不安や心配事で一杯で、お祈りはお願い事ばかりになっています。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」というイエス様の言葉が心に刺さりました。

十人のうち九人が神様への感謝を忘れてしまうのが人間の信仰の現実であることをこの個所は伝えているように思いますが、戻ってきた一人がこの世の希望になるのだと思いました。この一人から始まる感謝と信仰を受け取り受け渡す人になりたいと思います。

(60代)


2026年10月3日土曜日

見失った羊を私は捜せるだろうか

あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と言うであろう。

新約聖書 ルカによる福音書 1 5章 4~5節

先日、テレビで羊が放牧地から夕方、牧舎にもどる様子が映し出されました。初夏に生まれた子羊も一緒の群れにいました。ところかそのうち4頭の子羊が群れの中にいないことに気づいた羊飼いが、牧羊犬と一緒に捜し歩き、成長した羊たちも一緒になって辺りをうろうろする映像が流れました。羊は視野がひろく、振り向かなくても後方界隈をみることもでき、さらに群れの一頭一頭の顔を認識できるのだそうです。(最後に無事,柵の陰に隠れていた子羊たちを見つけたとテロップが流れました。)

人間はどうだろうか、と考えました。感覚的に、もしかしたら思考的にも視野の狭い人間が、失意や困難の中で自暴自棄になっている人、あるいは喜びで有頂天になり我を忘れている人、神さまとの関係が崩れかけている人、そんな迷える人たちを、捜して見つけ出し連れ帰ることができるだろうか、私にはできないなぁと思いました。だから、私たちの髪の毛の一本一本もご存知の神さまがいらして、頼りにするほかないのだ、と自分なりの解釈で思いました。

羊は群れとなって、まさに共同体として過ごしています。私たち、人間の共同体はどうだろうか、互いに愛しあい、助け合い、手を差し伸べあっているだろうか、と災害の多い昨今、悲しいニュースの多いこの頃、思い巡らす日々です。

(60代)