バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。
旧約聖書 詩編 137編 1節
バビロン捕囚を体験した人々の心情を歌う詩編137が今日の聖書日課でした。
「流れのほとりに座り」という言葉から、穏やかな川の岸辺を思い浮かべました。しかし、その流れのほとりに座る人々の心は、深い絶望の中にあったのです。
私は大きな喪失感を抱え、ごく当たり前と思える日常生活を送ることが難しい時期がありました。当時は、清々しい青空や四季の美しさを目にすると、かえって自分だけがこの世界から切り離されたところにいるような、自分がどこにいるのかもわからない―そんな感覚がありました。
今日この詩編を読み、当時の感覚がふとよみがえってきました。同時に、この詩編は「(あのとき)わたしたちは泣いた」と過去を振り返る祈りであることに気づきました。この詩編の作者は、絶望と失意の底に座り込むしかなかったときの涙を覚えているけれども、今は(あのとき)から距離をおき、語ることのできる日にいるのです。
そう気づいたとき、私も“あのとき”を振り返ることのできる日にいることに気づきました。私が自分の形を自分で保てない日々も、私が気づかないところで、神さまが私を保ち、支え、今日まで運んでくださったのだ、と。
静かに振り返ることのできる日もあれば、(あのとき)と距離が縮まり、まだまだ癒えていない痛みが疼く日もあります。だからこそ、過去の涙を静かに振り返る祈りと、今なお続く嘆きの祈りとが複雑に重なり合う詩編137の御言葉に、やさしい希望を感じました。
どんな日も、どんな祈りも私のありのままの思いを受け止めてくださる神さまが今日も私を導いてくださっていることを思います。
(30代)


