2026年10月3日土曜日

見失った羊を私は捜せるだろうか

あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と言うであろう。

新約聖書 ルカによる福音書 1 5章 4~5節

先日、テレビで羊が放牧地から夕方、牧舎にもどる様子が映し出されました。初夏に生まれた子羊も一緒の群れにいました。ところかそのうち4頭の子羊が群れの中にいないことに気づいた羊飼いが、牧羊犬と一緒に捜し歩き、成長した羊たちも一緒になって辺りをうろうろする映像が流れました。羊は視野がひろく、振り向かなくても後方界隈をみることもでき、さらに群れの一頭一頭の顔を認識できるのだそうです。(最後に無事,柵の陰に隠れていた子羊たちを見つけたとテロップが流れました。)

人間はどうだろうか、と考えました。感覚的に、もしかしたら思考的にも視野の狭い人間が、失意や困難の中で自暴自棄になっている人、あるいは喜びで有頂天になり我を忘れている人、神さまとの関係が崩れかけている人、そんな迷える人たちを、捜して見つけ出し連れ帰ることができるだろうか、私にはできないなぁと思いました。だから、私たちの髪の毛の一本一本もご存知の神さまがいらして、頼りにするほかないのだ、と自分なりの解釈で思いました。

羊は群れとなって、まさに共同体として過ごしています。私たち、人間の共同体はどうだろうか、互いに愛しあい、助け合い、手を差し伸べあっているだろうか、と災害の多い昨今、悲しいニュースの多いこの頃、思い巡らす日々です。

(60代)