2024年5月19日日曜日

心の貧しい人々は

心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。
へりくだった人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。

新約聖書 マタイによる福音書 5章 3~5節

私は、最初、「心の貧しい人々」の意味が理解できずにいました。
はて?心が貧乏とはどういうことなのだろうかと思いました。
そして、貧しい心が何故幸いなのだろうかと思いました。
貧しいといえば、少ないとか乏しいとか、とても幸いとは思えません。
ですがある時、それは心の支えのない人々を意味するのだと聞き、なるほどと納得しました。心の支えのない孤独な人々に居場所が与えられるのです。
そして、悲しむ人々が慰められ、へりくだった人々が大切にされるのです。暖かいことばに包まれる思いがしました。

悲しく、弱く、へりくだることしかできない立場の人々に、目を向けてくれる存在があるということに幸いを感じます。

(H.K. 60代)



2024年5月12日日曜日

羊飼いの信仰

羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

新約聖書 ルカによる福音書 2章 20節

救い主にお会いした羊飼いたちが「神をあがめ、賛美しながら帰って行った」という姿は、聖書を読み始めた頃は、少し不思議な思いがしました。救い主にお会いしたのなら生活が一変して劇的な人生を歩むはず…なのに、あっけなくこれまでの生活に「帰って行った」からです。でも信仰生活を続けていくうちに、自分も羊飼いと同じなのだ、と感じるようになりました。洗礼を受けても、日常生活は変わりません。日曜日に礼拝を捧げても、月曜日からはこれまでと同じ仕事、同じ生活を送っています。あの羊飼いたちも救い主に出会ったあと、これまでと同じ過酷な羊飼いの生活に戻って行きました。でも、その生活は「救い主が共にいてくださる」、その永遠に変わらない喜びと確信に支えられる生活へと変えられたのだと思います。

日常の生活の中で不平や虚しさ、徒労感を感じることがあります。そんな時、あの羊飼いたちの姿を思い起こします。私も、羊飼いたちと同じ「救い主が共にいてくださる」という喜びの信仰を共有しているのだということを思い起こします。

(H.K. 50代)





2024年5月5日日曜日

『ベン・ハー』はクリスチャンになってから観る映画……かな

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

新約聖書 ルカによる福音書 23章 34節

『ベン・ハー』をご存知ですか。ウィリアム・ワイラー監督、チャールトン・ヘストン主演で1959年に公開された名作です。同年のアカデミー賞を11部門(!)で受賞しています。

初めて観た中学生の時はノンクリスチャンだったので、奴隷船と海賊船の激戦、馬を束ねた多数の馬車による競走などがおもしろかったのですが、クリスチャンになって観返すと、この映画のテーマは「赦し」ですね。

舞台はローマ帝国に支配された1世紀初頭のユダヤ。誕生から十字架上の死に至るまで、イエス・キリストが時々登場しますが、ドラマ本体は母と妹を重い皮膚病(字幕では「らい」)にさせた宿敵メッサラに対するベン・ハーの憎悪を中心に展開します。

ドラマ終盤、十字架上のイエスを見入るベン・ハーは、自分を十字架につけたユダヤ人を「父よ、彼らをお赦しください。何をしているかわからないのです。」と弁護するイエスの深い愛に感動し、それとともにメッサラへの憎悪が消えてしまったことに気づきます。帰宅したベン・ハーを皮膚病から癒された母と妹が待ちうけます。そして三人が激しく抱き合うところで大団円。

パンフレットには、「……彼の悲劇が始まった家へと帰った。すると不思議や、母と妹の不治の病がいつの間にか癒えていた。そして、ベン・ハーもまた、今まで握りしめていた怒りと憎しみの剣が消え失せ、……」とあります。怒りと憎しみは三人の再会前に消え失せていたと私は受け止めました。最後の場面、あなたの目にはどう見えるでしょうか。

(H.M. 70代)

ベン・ハーのポスター

左からメッサラとベン・ハー

2024年4月28日日曜日

自分の知識は無に等しい

知恵があなたの心を訪れ、知識が魂の喜びとなり

旧約聖書 箴言 2章 10節

最近、思い込みの恐ろしさを実感させるような体験をしました。現在放映中のNHK大河ドラマ「光る君へ」を通して、自分の思い込みとは違う「源氏物語」の世界が見え始め、調べているうちに、平安時代のイケメンプレイボーイの女性遍歴を描いただけの恋愛小説にしかすぎないと思っていた自分が恥ずかしくなってきました。そこで、原文では難しいと思って「源氏物語」の訳本と参考書を手に入れて勉強し直しています。そして学ぶうちに、この作品の奥深さがわかり始めてきただけでなく、ドラマもさらに面白く見られるようになってきました。ところで、この世は、自分の知らない事柄や、自分の認識を改めなければならない事柄などで満ち溢れているのでしょう。自分の知識は無に等しいーこの真実を悟らせて下さり、その現実と謙虚に向き合う柔軟な心を授けて下さり、学ぶ意欲を下さる神様に感謝しつつ、天国に召されるその日まで学ぶ喜びに満たされ続けながら歩みたいものです。学びを通して与えられる喜びも神様からの恵みです。

(N.M. 70代)



2024年4月21日日曜日

私は絶望しない

神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

旧約聖書 創世記 1章 31節

私は、この聖句に希望と励ましを頂いている。世界は話し合いと和解や友情の上でなく、力によって、かろうじて平和という仮の名前でバランスを保っているようにみえる。しかし、その平和は世界のそこここで、もろくも崩れ、憎しみと兵器に支配されてしまっている。自然環境もまた、取り返しのつかない様相を呈しているようにみえる。世界に目を向けるまでもなく、自分を取り巻く家庭、職場、学校、社会でもあきらめてしまいたいような現実がある。私は、神のご計画を知る由もないが、少なくとも神は、心がへこみかけている時にも限りない憐れみを注いで下さっているのを知っている。神は、その目に極めて良い全てをお造りになったのだ、そして、皆に「見よ」と高らかに呼びかけたのだ。困難や苦難の中で、忍耐を覚え、そして平和や問題解決の道を追求する誠実さを神は人に授けてくださった。だから私は、神の「見よ」の呼びかけに応え、全てを良しとされた場に希望を持ち絶望しない。

(E.I. 50代)




2024年4月14日日曜日

導き

あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。

旧約聖書 詩編 119編105節

受洗の喜びと嬉しさ、緊張で迎えた礼拝の招きの詞。

受洗までの長い道程、気づかずにも御言葉によって導き支えられてきたと思います。

悩んだり迷ったり自分一人で答えをだそうとしていたことに気づかせてくださったり、神様どうしてですか?と思う時もその時々に与えてくださる御言葉に励まされ心強く安心し支え助けていただいていると思います。

御言葉によってわたしたちの道、歩みを照らし導いてくださる神様に信頼し歩んでいかれることに感謝です。

(H.O. 60代)


2024年4月7日日曜日

恵みと慈しみはいつもわたしを追う

命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う
主の家に私は帰り
生涯、そこにとどまるであろう。

旧約聖書 詩編 23編 6節

詩編23編1節~6節全体は、さまざまな情景を絵画のように思い描けるように感じられる箇所だと思います。

神様は、私たち人間を、とても大切に思っていて下さいます。私たち人間には到底知りえないところまで、ともにいてくださいます。疲れた魂を生き返らせてくださり、私たち人間が災いと感じられる場面でも、神様はともにいて、励ましてくださるのです。

その神様は、私たちに恵みと慈しみが「私を追う」ほどに、あふれるほど与えて下さる方なのです。そのような神様のもとで、生涯、過ごすことができるとは、なんというお恵みなのでしょう。

私たち人間は、ついつい自分のことを中心に考えがちです。私もそうです。今、こうしていることも当たり前ではなく、すべて神様のお恵みなのです。神様のお恵みに感謝し、毎日を大切に、感謝して歩んで行きたいと思います。

(E.O. 40代)