2025年10月18日土曜日

長く生きる意味は

死ぬことなく、生き長らえて主の御業を語り伝えよう。

旧約聖書 詩編 118編 17節

ローマの哲人セネカの言葉にこんな一文があります。「誰かが白髪であるからと言って、あるいは顔にしわがあるからと言ってその人が長生きをしたと考える理由はない。彼は長く生きたのではなく、長くいただけの事なのだ。」

80歳を過ぎ毎日をただ漫然と過ごしている自分にセネカの言葉が突き刺さります。私たちは長生きするためにいろいろなことを試みます。食べ物に気をつけたり運動をしたり時にはサプリメントを使用するなど、いろいろと努力をしています。しかし何のために長生きするのかを自らに問うこともなくただ一日でも長く生きるために努力しているように思います。

そんなことを考えている時、冒頭の詩人の言葉に出会いました。これまでも何度も読んできた言葉ですがこの年になって初めて自分への語りかけの言葉として響いてきました。 詩人の言葉は「キリスト者にとって生きる意味は神を喜ぶこと」というよりももっと具体的に今の自分の生きる意味を示してくれているように思い励まされます。

(K.O. 80代)



2025年10月11日土曜日

神さまへの信頼

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。

新約聖書 ペトロの手紙一  5章 7節

職場の聖書研究会でご一緒させて頂いたOBの方から、一人のカトリック信徒のご婦人を紹介されました。職場で不動産に関わる仕事に従事していたこともあり、ご婦人の不動産活用についての相談のためでした。

必ずしも健康という方でなく、常に体調を気使う必要があり、その日その日の体調と向き合いながらも、一日一日を感謝して過ごされていました。

ご自宅を訪問の際は、不動産の話については勿論、通われているカトリックの聖イグナチオ教会のこと、神父との学び会のこと等信仰の話が中心になっていました。最後には、必ず祈りの時を持ちました。

この15年の間、ご婦人は体調や経済面で、困難が続いていたにもかかわらず、祈りのテーマは、ご自身の健康が支えられること、日々の生活が守られること、そして神さまの御心に沿った歩みができることでした。

どんな状況でも、神さまに全き信頼を寄せ、委ね、神さまと共に生きる信仰の姿に触れ、私自身も励まされ、祈りを分かち合う恵みを頂きました。

(H.K. 60代)



2025年10月4日土曜日

中村哲さんのこと

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

新約聖書 ヨハネによる福音書  12章 24節

私の尊敬する人の一人は中村哲さんです。中村哲さんがアフガニスタンで凶弾に倒れ、もうすぐ6年になります。長年、特に用水路建設では陣頭に立ち、かの地で人道支援に尽力されたことは皆さんの知るところです。

中村哲さんは登山隊の帯同医師として険しい山岳地帯に赴きますが、貧しい山麓の村に医師はなく、村人が医療と薬を求めて押し寄せたと聞きます。その様子は病を癒してもらおうとイエスさまに群がる人々を連想させます。

中村哲さんはありったけの薬を村に置きたかったでしょうが、登山隊の健康管理を任務とすれば村人に為す術もなく、どんなに悔しい思いをされたかと想像します。

中村哲さんは医療が十分に届かない地での現実を前に 病をなくすには、まずきれいな水だ、と用水路整備を始めたのです。安全な地ならいざ知らず、武装集団の活動のおそれがある地で身を守る一番の武器は無武装である、と中村哲さんは常に丸腰で活動に臨み、しかし最後には凶弾に倒れました。

イエスさまは、旅に出る弟子に、何も持って行ってはならないと諭し宣教に遣わし、そして遂には私たちの罪のために十字架にかかりました。しかし、その後に復活の希望がありました。

中村哲さんは召されましたが、蒔いた種は着実に多くの実を結びその意志はアフガニスタンの人々に引き継がれ、活動は今も継続しています。イエスさまの教えそのままを、私は中村哲さんに見ます。

イエスさまは今も生きて働いておられ、私たちも、平和の種をまき朽ちることなく広がるように、神さまのご用のために遣わされた場で生かされるよう祈ります。

(E.I. 60代)


2025年9月27日土曜日

み言葉に助けられ

おのれの心を治むる者は城を攻取る者に愈る。

旧約聖書 箴言  16章 32節(文語訳)

1948年、恵泉女学園に入りました。入園式の折、河合道園長先生が、お祝いの言葉として、「この聖書の言葉を皆さんに差し上げます。おぼえて下さい」とおっしゃいました。私は、何を意味する言葉か、理解出来ませんでしたが、「おぼえなくては!」と思い暗記致しました。

現在の新共同訳聖書には、「自制の力は、町を占領するにまさる」と書いてあります。あの頃の私は、何の意味かわかりませんでしたが、年を重ねるにつれ、このみ言葉にどんなに助けられ、今まで生きてこられました事を心から感謝しております。                               

(K.N. 90代)


2025年9月20日土曜日

導かれるままに

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

旧約聖書 コヘレトの言葉  3章 1節

毎晩床につく前に今日も一日無事に終えられてよかったと感謝する日々ですが、それはその日一日も神様に守られていたということ。

毎日の生活では落ち込むことも多々あります。その逆に小さな喜びも沢山あり、何事もなく過ごせている時はその有り難さを感じます。

そしてそのすべてが神様が私たちに与えてくださっているこの世での生の中で起きています。私たちは何一つ自分たちの力で何かを行ってはいません。

この大きい世界の中で自由にその時々を味わわせていただいているのだと、そして何も心配することはないのだと。

すべてを神様に委ねて、神様が示してくださる道を、信頼して歩みを進めればいいのだと思います。

神様が良しとされている世界の中で…。                               

(R.M. 60代)



2025年9月13日土曜日

主によって変えられる希望

互いに忍び会い責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主が貴女方を赦して下さったように、あなたがたも同じようにしなさい。……またキリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。

新約聖書 コロサイの信徒への手紙 3章13節、15節

朝は一日笑顔で、穏やかに過ごせますように、夜は一日の感謝で、お祈りと聖書の御言葉に耳を傾けています。

 しかし、年もとり、体のつかれもあり、何度注意しても、聞き入れられないと、ストレスと怒りがこみ上げて、ついきつい口調になってしまう自分が嫌になります。

 自分のなかにいる悪魔よ、出ていけと思いながら、この箇所を思い起こすのですが、又同じ事を繰り返している・・・でも、いつの日か、キリストの言葉があなたがたの内に豊に宿るように・・・と祈りの日々です。                                

(F.S. 70代)


2025年9月6日土曜日

主に委ねる

「私は主のはしためにすぎません。何もかも主のお言いつけどおりにいたします。どうぞ、いま言われたとおりになりますように。」マリヤがこう言うと、天使は見えなくなりました。

新約聖書 ルカによる福音書 1章 38節(リビングバイブル)

「確かにあの祈りは聞かれた」と思うことも多々ありますが、「あの祈りのせいで、逆にこうなってしまった」と思う事も何度もあります。

その度に、神さまを信頼し、神さまに身を委ねる信仰の基本的な事が実は出来ていないと思います。

このルカによる福音書の「受胎告知」の箇所を読んだ時に、マリヤの言葉に、信仰の深さを初めて感じました。聖書の中では、石打ちにより殺される事がよく出てきます。彼女自身も例外ではないのです。それも分かったうえで、あのセリフを言えたマリアは、「やはり神さまに選ばれた信仰者なんだなぁ」と思います。

私もしっかりと信仰の土台を据えたいと思いました。                                

(Y.S. 40代)