2026年5月9日土曜日

恵み多き劣等生

弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。

新約聖書 ルカによる福音書 8章 24節

人生には「おぼれそうになる」時があります。多忙、災難、失敗、etc.風吹きすさび荒波となる時がある。

イエス様と一緒に船出する人生、湖は自分が暮らしていく世の中、その世の中を渡るについて荒波となれば人生沈没かと危うくなる。そんな時、イエス様は風と荒波を叱り凪にして下さる。しかし、それだけならただのご利益信仰、自分に都合のいい益を得るだけ。それは恵みではない。

凪になった後、イエス様は「あなたがたの信仰はどこにあるのか」(ルカによる福音書8章25節)と従う厳しさを問われる。しかし、神様に完璧、完全に従う、あるいはそのように日々努められるほど立派な優等生にはなれない。

そんな劣等生にさえ、振り返れば、神様の備えがあった。辛くて、逃げもし、放り出しもし、でもその時の経験が後に与えられた人生の役割にあって自らが意図していない支えになっている。

救われて、救われて、でも神様に完全に従い生きることができない。この繰り返しが救い主イエス・キリストが在ることを揺ぎ無く確信させてくれます。このことこそ神様の恵みと受けとめています。

(T.M. 70代)


2026年5月2日土曜日

恐れで身動きがとれなくなるとき

あなたを造られた主は 今、こう言われる。
恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。

旧約聖書 イザヤ書 43章 1節

私は他者に対する恐怖に蝕まれ、どうしていいかわからなくなってしまうことが度々あります。しかし、神さまはそんな私に何度も「恐れるな」と語ってくださいます。

以前、仕事のプロジェクトに参加するかどうか、とても悩んだことがありました。参加者の中に、私に冷たい態度をとる年上の方がいたからです。顔を合わせるたびにきつい言葉を受け、次第にその方が怖くなり、「自分はいない方がいいのでは」と思うほど心が疲れていきました。

それでも、プロジェクトに参加すれば私に与えられた役目があり、本当は挑戦してみたい気持ちもありました。けれど、その方に対する恐怖に打ち勝てず、参加の有無について返事をできずにいました。

最終的に、そのプロジェクトには参加しました。参加を決めた理由は、「神さまは恐れによって導く方ではない」この確信にたどり着いたからです。

誰がどう言おうと、私は神さまのもの。役に立つかどうかではなく、神さまが名を呼んでくださる、この私。恐れを抱いている自分を認めながら、しかし、恐れから生じる感情で選択するのではなく、神さまが私を呼ばれる方へ歩いて行ける私になりたいです。

( 30代)


2026年4月25日土曜日

「The Terrible Twos」と「善悪の知識の木」

主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

旧約聖書 創世記 2章 16~17節

数年前、知り合いの家族と車で出かけました。その家族には2歳くらいの女の子がいました。寒い冬の日で、ちょうど家に帰ろうとした頃に雪が降り始めました。女の子のお母さんが娘に「さあ、外に出るわよ。コートを着なさい」と言いました。すると女の子は「コートなんていらない!」と答えたのです。

2歳児はとても手がかかるものです。自分が親よりも自分のことをよく知っていると思い込んでいるのです。親は子どもが安全で健康に過ごすために何をすべきかをよく知っているにもかかわらず、子どもは親の言うことを聞こうとしないことがあります。日本ではこれを「反抗期」と呼び、英語では “The Terrible Twos”と呼びます。

私たちは皆、2歳児のようなところがあると思います。神は私たちが健康で平和な人生を送るための最善の方法をご存知です。人生に必要な基本的な原則はすべて聖書に書かれています。しかし私たちは、自分たちの方が神よりも物事をよく知っていると思い込んでいる。私たちは神が何を言おうとも聞こうとしない。

創世記に記されているアダムとエバの物語は、その理由を説明しています。神はアダムとエバをエデンの園に置き、「園にあるどの木の実も自由に食べてよい。しかし、善悪を知る木の実だけは食べてはならない」と告げました(創世記2:16b-17a)。蛇はエバを誘惑し、「神は、あなたがたがそれ(善悪を知る木の実)を食べると、目が開けて、善悪を知るようになり、神のようになることを知っている」と言いました(創世記3:5)。

アダムとエバは善悪を知る木の実を食べることを選びました。そうすることで、彼らは神に「私たちは自分たちで神になりたい。何が自分たちにとって良いことで、何が悪いことかを自分たちで決めたい。あなたのやり方ではなく、自分たちのやり方で物事を進めたい」と告げたのです。言い換えれば、彼らは2歳児のように振る舞うことを選んだのです。アダムとエバ以来、人類は2歳児のように振る舞い続けています。それが、歴史の始まり以来、世界に苦しみが存在する理由です。私たちが神の道が私たちの道よりもはるかに優れていると認識するまで、その苦しみは続くでしょう。

(C.M. 70代)


2026年4月18日土曜日

主の前に静まる

恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。

旧約聖書 出エジプト記 14章 13節

長い人生で順境もあれば逆境もあります。いざ逆境に至れば、思い悩み、未来に対する恐怖が生まれます。私も数々の逆境で心を乱し、未来に対する恐怖にさいなまされてきました。しかし、私が味わったものなど遥かに凌駕する恐怖を味わった人々がいました。エジプトを脱出したイスラエルの民です。

エジプトで奴隷のような生活をしていたイスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを脱出し、新たな土地に向かいました。しかし、エジプト王の追っ手に追いつかれ、前は海、後ろは敵の軍勢という逃げ場のない絶体絶命の状況に陥りました。このときに、主は言われたのです。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。」と。そして、有名な「葦の海の奇跡」(モーセが海の水を割った奇跡)を見ることとなります。こんな誰もが絶望するような状況でも、神は「恐れるな」、「落ち着け」と言ってくださり、そうすれば、主の救いを見せてくださると宣言されたのです。

この聖句に出会ったとき、私の未来への恐怖は、大きく緩和されました。忙しい日々の中、あえて神の前で静まり、神が私に起こそうとしている救いを落ち着いて見つめる。これこそが私にとって、五里霧中でも一歩踏み出す原動力となっています。

(R.K. 40代)


2026年4月11日土曜日

イースターのグリーティングカード

イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 11章 25節

今年のイースターを前に、ポストの中に一通の懐かしい風景のハガキを見つけました。それは、かつて私が信仰の基礎を学んだ母校から届いたイースターのグリーティングカードでした。

カードに記された力強いみことばを読み返しているうちに、私は学生のときを思い出しました。教会で「復活と命」の約束を初めて知った時の感動がありました。そのときの記憶が、あたたかい春の光とともによみがえってきたのです。

卒業以来、環境は変わり、時間の流れの中でたくさんのうれしいこと、大変と感じることも経験してきました。しかし、主が与えてくださる「命」は決して色あせることがないと教えて下さっています。むしろ、日々の生活の中で何度も立ち止まり、弱さを覚えるその度に、この「復活」の力によって新しく生かされ、今日まで運ばれてきたのだと感じます。

母校からのカードは、私にとって、神様の変わらぬ愛を再確認させてくれる、神様からの温かいプレゼントだと思います。今年もイースターを共にお祝いできることを神様に感謝致します。 

(E.O. 40代)





2026年4月4日土曜日

キリストの体と、その部分

あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一  1章27節

私たち人間が「キリストの体」って…??若い頃に初めて読んだ時には何かピンときませんでしたが、年を経て、人間関係においてもいろいろな経験を積むうちに、「ああ、こういうことなのかな」というのが少しずつ見えてきた気がします。

直前の12節~26節にあるように、私たちは目鼻口や手足など働きの異なる各部分が集まって一人の体を構成しているのと同様、一人一人それぞれ個性豊かな人間が集まって社会を構成しています。体を構成する部分はそれぞれ大きさも形も働きも異なっていて、どれ一つとして「なくてもよい」部分がないのと同様に、私たち一人一人もまた、見た目はもちろん性格も能力も皆異なっているけれども、誰一人として「いなくてよい」人はいません。しかも体の各部分がそうであるように、それぞれが協調して働かなければ、主の教えを具現化する「体」としての社会が機能しない、ということなのでしょう。そして「体」の一部である私たち一人一人が、キリストによって「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。」(13節)

世界を見渡せば人種や文化や宗教が異なる多様な人たちがおり、また地球全体を見れば数えきれないほど多様な生物がいて、誰にも(どの生物にも)かけがえのない役割や働きがあります。私たちはキリストによって皆一つに結ばれ、それぞれの賜物を生かして与えられた恵みをお返しするため共に働くことによって、神の国が実現するのですね。

今でいう「インクルーシブ」などという概念がおそらくなかった2000年も前に、主の恵みについてこのようにわかりやすく手紙に書いてくれたパウロさんにも心から感謝です。 

(N.N. 60代)


2026年3月28日土曜日

クリスタルのような空気

生き物の頭上には、恐れを呼び起こす、水晶のように輝く大空のようなものがあった。

旧約聖書 エゼキエル書 1章 22節

日々のつまらないストレスや心がズタズタになるような出来事にさいなまれ、心に嵐が荒れ狂った時、ふと神様の持っておられる、より崇高な目標、より偉大な目的、より高い使命を思った。その瞬間に、そこに水晶のようにクリスタル・クリアな、どこまでも澄んだ、全く微塵の風もない清涼な世界があるのを感じた。それは私の近くに存在し、そこにいることが可能なのだということを感じた。

そのピュアすぎるほどにピュアな空色の空気はそこにあり、全く揺るがされない。それ以来、それまであまり好きでなかった水色や空色が少し好きになった。神様のもとに心を上げ、神様の持っておられる壮大なご計画、高い召し、栄光に心を留め、その高度に生きられることを思い出させてくれるから。

(A.O. 40代)