神のなされることは皆その時にかなって美しい。
旧約聖書 伝道の書 3章 11節(口語訳)
6月に梅雨の晴れ間をぬって北アルプスの蝶が岳(2677m)に登って来ました。
沢の音を聞きながら、雪解けと同時に咲き始めた色とりどりの可憐な高山植物や新緑の美しさに背中を押される様に、順調に登っていきました。
登山道は良く整備され危険な個所もないのですが、山頂までの残り一時間が地獄の階段の連続。3時間半登ってきた脚にはとても辛いものでした。
休みつつも最後の力を振り絞って山頂に着くと、青空をバックに残雪と新緑のコントラストが見事な槍ヶ岳から穂高連峰の大パノラマが広がっていました。
その美しさに心をひかれつつも、疲労困憊の私は小屋裏のベンチに座り込んでしまいました。気が付けば小一時間!そうしている間に、さっきまでの青空は噓のように雲に覆われた景色の中へ。暫く待つ時間が続きましたが、青空になることはありませんでした。
自然が刻々と姿を変え、一瞬たりとも同じ景色がないように、私たちの人生にも晴れの日があれば、雲に覆われて先が見えなくなる日もあります。そのことを思いながら、私は旧約聖書、伝道の書の言葉を思い出しました。
「すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(3章1節)、そして「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(3章11節)。青空にも曇りにも、それぞれ意味があるように、私たちの歩みにも神さまが備えてくださる「時」があります。目の前が開けている時だけでなく、先が見えず待つ時にも、神さまは働いておられます。
だからこそ、日々の歩みの中で神さまから与えられる恵みを見逃さず、神さまに思いを向け、祈りながら一日一日歩んでいきたいと思わされました。
(H.K. 60代)
