2023年2月26日日曜日

力強い支え

主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

旧約聖書 イザヤ書 40章 31節

今では多少の距離を走ったり歩いたりするのは好きだが、学生時代の私はそれほど丈夫でもなく、気持ちも強い方ではなかった。なんとか生き長らえてきたのは、そんな私の弱さを見えない力が支え続けてきてくれたから。

自ら聖書を開くようになり、御言葉に触れると心の内に力がみなぎり、身体的にも整えられるーそんなことを繰り返しつつ、今日まで来られた。目指すところがないと前に進むことは難しいが、仰ぎ見る方を知ったことで、こんな状況下でも恐れないで歩んでいけます。

(R.M. 60代)


































2023年2月19日日曜日

心を変えられる言葉

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章 16節~18節

私は心が沈んだ時、この言葉を思い出します。自分自身では元気になれない時、この言葉がどういう心でいれば良いか教えてくれます。この言葉を心がけると、沈み込んだ自分、元気になれない自分から、少し喜べる自分、感謝できる自分になり心がほぐれていきます。そして祈ることで神様とつながり、安心した気持ちになります。また、どのようにして生きていけば良いのかと迷い悩む時も、この言葉が教えてくれます。「これがキリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」この言葉に倣って生きていくことを神様は私たちに求めている。

気の小さい私の背中を押してくれる神様からの言葉です。

(K.O. 50代)
































2023年2月12日日曜日

気持ちを新たに

子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される。

新約聖書 マタイによる福音書 9章 2節

洗礼式で牧師が、聖水と共にかけて下る御言葉です。この時、私達の教会の先生は「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」とおっしゃいます。

「子よ」という呼びかけに、温かさと安らぎを覚えます。どんな時でも、見守って下さる方がいると思えます。見守られ、支えられているから頑張ろうと思えます。私自身は、洗礼を受けてから随分年月を経ましたが、そうだ、私もしっかりせねば と思うのです。気持ちを新たにしてくれる言葉です。

(H.K. 60代)






























2023年2月5日日曜日

平和をつくり出す人たち

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

新約聖書 マタイによる福音書 5章 9節(口語訳)

聖句は新共同訳ではなく、あえて口語訳聖書を示しました。有名な山上の説教の1節です。

実は、この聖句は私の名前(和幸)の由来となった箇所です。新共同訳聖書では、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」と訳されています。

父が生前に、私はなぜこの聖句を選んだのか聞いたことがありました。父曰く、恩師のご子息の名前が「幸平」で、その由来が文語訳聖書のこの箇所だったのだとか。文語訳聖書では「幸福(さいわい)なるかな、平󠄃和ならしむる者。その人は神の子と稱(とな)へられん。」とあります。

私が生まれた頃は口語訳聖書になっていたので、同じ聖句を用いながらも平和の「和」とさいわいの「幸」をとって「和幸」と名付けたのだそうです。

聖句のように「平和をつくり出す人たち」になれているかはわかりませんが、父がこの聖句を選び名付けてくれたことに感謝していますし、この名前に誇りを持っています。この名前に恥じないよう、またクリスチャンとして少しでも「平和をつくり出す人たち」になれるような生き方をしたいと考えています。

(K.I. 50代)




























2023年1月29日日曜日

祈りの時

わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 8章 26節~27節

もうずいぶん前のことですが、信じられない出来事が起こり、呆然となったことがあります。その時の自分を今、はっきりと思い出すことができます。

それまで日常的に、また何かあった時に、思いや気持ちを言葉にして祈っていましたが、その時はあまりのショックに言葉が全くでませんでした。ただ、ただ、神様、、、と、うずくまりました。なにも言葉が出ないまま長い時間立ち上がることができませんでした。

その後、だんだんそれは現実となって大変な時期を過ごしましたが、守られて何とか乗り越えることができました。そして、後になって、この聖句に出会ったのですが、その時の不思議な体験を思い出しました。忘れることができません。言葉はなくてもむしろ深く祈った自分を感じ、包みこまれるような感じがしたのを覚えています。

祈りの言葉は大事ですが、心を真っ直ぐに神様に向けることで弱い私の心のなかに神様が入ってきてくださったのだとあらためて確信いたしました。神様は私たち一人一人の心の奥をご存じなのだと思いながら祈っています。

(M.N. 70代)


























2023年1月22日日曜日

わたしのもとに来なさい

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

新約聖書 マタイによる福音書 11章 28節

46歳で受洗して聖書を読むようになった。この言葉に初めて触れたとき、なんて優しく力強い言葉だろうと心に安らぎを得た。

それまで不思議に思うこともあったクリスチャンの義母や、あの方この方の姿が少し理解出来るようになった。その人たちは小柄な姿からは想像もつかないような困難を乗り越えてこられ、いつも柔和で感謝の言葉が多い毎日を過ごしておられる。人のせいにして思い煩うことの多い私は、イエス様から学び御手に委ねて真実に生きる事の大切さを教えられた。

(H.K. 70代)
























2023年1月15日日曜日

エルサレムの地を訪れて

はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。

新約聖書 ルカによる福音書 23章 43節

22年末にイスラエルのエルサレムに旅しました。古代イスラエル王国が建国された古都で、旧市街には石造りの建物が連なり、当時の面影を色濃く残しています。イエスはこの地で約2000年前、十字架につけられて息を引き取った後、復活した……。新約聖書にはこう記されています。この地を歩くと、イエスが確かに存在し、「神の子」として伝道を続けたことが分かります。死の直前、イエスが祈りをささげたオリーブ山、十字架を背負い、歩いた石畳、そして死にて葬られたゴルゴダの丘。各所に教会や碑が建てられ、巡礼や観光の人々が訪れています。

イエスは2人の強盗と並んで十字架につけられました。そのうちの1人が罪を悔い、死の直前、イエスに「わたしを思い出してください」と話します。そのとき、イエスが告げたのが表題の言葉でした。人間は誰でも罪を犯します。それでも神の前に悔い改めれば、許される。この聖句に癒され、勇気づけられています。

(H.A. 50代)